ワイマール憲法

出典: Jinkawiki

ワイマール憲法 ドイツ革命によって崩壊したドイツ帝政に代わってワイマール共和国が発達した。 その後この憲法が作られた。普通・平等・比例選挙によって選ばれた国民議会が1919年7月31日に議決し、翌月の8月1日に公布された。この国民議会が都市ヴァイマルで開かれたので、ワイマール憲法という。ドイツ共和国憲法の通称にあたる。


国民主権・議会制民主主義・大統領制・男女平等の普通選挙などがあり、初めて社会権の保障について定めた憲法である。二〇世紀民主主義憲法の先駆け・典型といわれる。当時、世界で最も民主的な憲法といわれる。 ワイマール憲法が画期的だとされる、理由の「社会権」の中でも重要なのが、「生存権」だと言われる。 元々、19世紀の近代国家が憲法に盛り込んだ基本的人権の柱は、思想や表現の自由など国家からの自由を保障する「自由権」。国家は市民の安全と自由を守る役割を果たす存在で、個人の領域に過度に干渉しないことが望ましいとされていた。 しかし資本主義経済が発展し、貧富の差や失業などの社会問題が生まれ、資本家と労働者との間で階級闘争が起こる。ワイマール憲法制定時のドイツは、敗戦と革命で揺れているだけでなく、ロシア革命の余波による共産化の恐怖にさらされていた。共産化を防ぐためにも、市民が人間の尊厳を保って生活できるよう、経済活動や国民生活への介入を認める福祉国家という考えが広がり、この考えのもとに、ワイマール憲法の第151条には「経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない」と明記された。 第一次大戦の敗戦後に制定されたワイマール憲法と、第二次大戦の敗戦後に制定された日本国憲法には類似点があるといわれている。特に第151条に定められた「生存権」の規定については、日本国憲法の第25条にある「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の保障や、公共の福祉に反しない範囲での経済圏の自由などの記述とほぼ一致しているのである。


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