一遍
出典: Jinkawiki
鎌倉仏教の中で時宗の開祖として知られているのは一遍である。出家していた一遍は25歳の時、父の死去にともない還俗して妻帝した。 だが、一遍には仏教を捨てることはできなかった。29歳で再び出家した一遍は、熊野権現に参籠中、ついに悟りを開く。財産と妻子を捨てて、救済の旅に出た。「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と刷った念仏札を人々に配り、踊りながら念仏を唱える「踊念仏」と彼自身のカリスマ性を通じて、民衆に熱狂的に受け入れられていった。札を授けられ、歓進に名を記した者は、250万人を超えたという。生涯、寺をもたず、念仏と一体化しようとした一遍は「一代の聖教皆尽きて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」の言葉を残して亡くなった。
参考文献 『日本史1000人上巻』 世界文化社 『日本史研究』 山川出版社