三角州

出典: Jinkawiki

目次

三角州とは

 三角州といわれる地形は河口付近に頻繁に形成されており、枝分かれした二本以上の河川と海で囲まれた陸地が三角形に近い形を成しているため「三角州」と呼ばれるようになった。 また、この地形はデルタ(Δ)といいうギリシャ文字にも似ていることから「デルタ」や「デルタ地帯」とも呼称されている。 この三角州は河川の上流から流れてきた砂が堆積することによって形成される。 上流から流れてきた砂は重たいものから堆積していき、軽い砂は沿岸部へと運ばれる。 この原理は幼い時、理科の実験で行った砂の重さによって堆積する順序が異なることでも理解できるのではないか。


三角州の形成(広島県広島市を中心に)

 三角州が形成されるには河川から運ばれてくる土砂の供給量が十分であることと河口付近の海底地形が土砂を堆積するのに適切な地形であること、河口付近の波の力が強すぎず土砂を侵食しすぎないことである。 このような条件により三角州の形態は単純なもののみでなく、緩やかな円弧状三角州や鋭い尖状三角州、鳥の足の形に似ている鳥趾状三角州が存在する。 アジア地域では河川の傾斜が急で流れる量も多いため河川の運搬作用が非常に働いて河口に三角州が形成される。 この広島市の本川においても河川の土砂が運搬され堆積したことで広島平野が形成された。 また、地形図でも読み取れるように三角州は主に水田に利用されている。


広島市の三角州地帯について

 本川流域の開発は下流部の干拓によって始まった。 だが土地は低湿地帯で埋め立て工事がなされた。 また本川上流部は砂鉄が採れる生産地となっていて砂鉄を採るために「鉄穴流し」とよばれる方法が用いられていたが、この方法は下流部に大量の土砂を堆積させるため水害の原因にもなっていた。 本川の治水、洪水防止として護岸工事も行われ、三角州地帯の干拓は新田開発の奨励に伴って明治期まで進められ七河川が形成された。

 こうした新田開発に伴って灌漑用水の整備も行われるようになり、用水路も形成されるに至った。 その後河川事業がなされ、ダムも数箇所形成された。このような過程を経て広島市は人口増加をたどり、中国地方最大の都市へと発展していった。 しかし、人口増加は水需要が水の供給を超え水不足が生じた。そのために総合的水資源施設整備が進められていった。 整備が進められた後、本川上流域にダム式発電所の建設が中国電力によって進められ水力発電が盛んに用いられるようになってきた。 発電所は水需要の確保において重要視されるものであるが、放流した発電用水を逆調整するためにも利用されている。 また、ダムは水害において洪水調節に威力を発揮しているため水害対策としても利用されている。


現在の土地利用

 広島の市街地は三角州の中央部に形成されている。 これは三角州が形成されるにあたって地盤の安定した土地に市街地を形成したように感じる。 反対に河口部の土地利用においては水田が多数存在しており、三角州における土地利用が明確である。


参考文献:参考URL

・井関弘太郎 「三角州(古書)」 1972年

・ペリカン社 上田栄子 「三角州」 1995年

http://images.google.co.jp/imgres?imgurl=http://rika2.seesaa.net/image/hiroshima_e.jpg&imgrefurl=http://rika2.seesaa.net/category/285190-1.html&usg=__C-2OK4RHNHprgkO0nxJNLAW01ho=&h=501&w=640&sz=189&hl=ja&start=1&um=1&tbnid=Pza3fSNG7kJETM:&tbnh=107&tbnw=137&prev=/images%3Fq%3D%25E5%25BA%2583%25E5%25B3%25B6%25E3%2580%2580%25E4%25B8%2589%25E8%25A7%2592%25E5%25B7%259E%26um%3D1%26hl%3Dja%26lr%3D

http://www.ne-japan.com/2007/07/2.html


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