世直し一揆
出典: Jinkawiki
幕末の世直し一揆
幕長戦争が起きた1866年は、凶作も重なって、一揆や打ちこわしが激発した年である。 7年間続いた天保の飢饉(1833~39年)の際には年間で百件以上の一揆が起きたが、この1866年にふたたび、百件をはるかに超えた。
これら19世紀の前中期の一揆の特徴は、「窮民」を中心とする百姓たちによる、地域の村役人や、特定の「富民」に対する打ちこわし行為である。
代表的な打ちこわしは、ちょうど幕長戦争の開戦(6月7日)の前後に起きている。 幕府側軍勢が駐留した摂津の西宮などで、窮民の女房たちが集まって米安売り要求をはじめた。やだて打ちこわしとなり、救民たちが難破村から大阪市中に入った。 打ち壊された商家は885軒におよんだ。
江戸では、窮民たちが「〇〇町貧窮民」など幟をたてて、商家や大名家に施行せぎょう(貧民に物を施すこと)を強要した。
ええじゃないか
神符の降下を契機に東海、近畿地方を中心に起こった熱狂的乱舞を伴う民衆運動。 その際の民衆の唱えた言葉「ええじゃないか」が、この運動全体を指すようになった。
世直し一揆が激化した1866年の翌年は、農家で米価も下落し、大政奉還から王政復古へと大変転する政治状況にあった。この年、ええじゃないかの群衆が列島の中心部に広く伝播した。 御札降りをきっかけに民衆が群舞するこの騒動は、地域によって、札祭りや豊年踊りなどとも呼ばれた。
ええじゃないか、とは、まずお札降りがあり、その神仏を降った家などで売り、老若男女が連日踊りに興じ、村役人や豪商・豪農などに飲食を提供させるという民衆的騒動である。 伊勢神宮や静岡の秋葉社など、諸国の社寺のお札が降り、仏像が降ってきた実例もある。 御札が降った家ではそれを祭り、施行が行われた。 「ええじゃないか」の囃子に合わせて女は男装し、男は女装するなど異形の姿で踊りが行われた。
非日常的な狂乱状態、彼らの唱えや言葉としての「ええじゃないか」や「ちょいとせ」などの大合唱が続く。 狂乱状態は、二夜三日あるいは六夜七日などで終わり、降下した御札は神社の境内などに納められる。 民衆の意識としては、この御札の降下に世直しを見ていた。 御札が降った家の金銭的な負担は、時には何百両という巨額にのぼった。
ええじゃないかは、乱暴することはなかった。 ええじゃないかは、民衆による、民衆のための「世直し」の大祝祭であり、富民の家や店に踊りこんだりしながら楽しんでいる感じがよくでている。
参考文献
開国と幕末変革 井上勝生 講談社
日本大百科全書 小学館