井上毅

出典: Jinkawiki


 井上毅(いのうえこわし)といえば「教育勅語」を起草した人物として歴史に名前を残すが、実は憲法をめぐって生じた大隈重信らの追放劇「明治14年の政変」の陰のプロデューサーでもあった。  井上毅は、元熊本藩士で、少年のころ、神童とよばれた。開明派の横井小楠のもとで学び、後に明治天皇の侍講(教授役)となる元田永孚(もとだかねざね)と同門であった。  明治初頭、司法省に入り、フランスで法律を研究していた当時から、大隈重信が提案した議員内閣制であるイギリス型の憲法を否定していた。1881年(明治14年)、井上は伊藤博文、岩倉具視に近づき、大隈の罷免追放を実行させる。政府の体制はこれにより一新し、井上は以後政界の中心人物としての地位をゆるぎないものにする。  さらに彼は『伊藤自らが憲法起草作業にあたるべし』と説き、これを受け入れなければ辞職すると恫喝して伊藤を背後から動かしたのである。天皇の君主権が強い、プロシア(ドイツ)型の大日本帝国憲法制定に井上の力は多大であったが、彼の裏で手回しをする手法は、官僚そのものでった。

参考資料

ビジュアル 日本の歴史 No17 近代国家への道7 板垣退助と自由民権運動 おもしろ教科書ゼミナール2 日本の歴史が10倍面白くなる


投稿者 mk


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