井原西鶴2
出典: Jinkawiki
裕福な大阪の商人の家に生まれた井原西鶴は、若くから俳諧を学んだ。西鶴の俳諧は特に奔放で、これを自ら「阿蘭陀流」と称し、新鋭の俳諧師として注目された。43歳の時に2万3500句独吟という記録を打ち立てて、家業をおろそかにするほどのめり込んだ俳諧の世界と決別する。師匠の西山宗因の死が転機となったともいう。西鶴が処女小説『好色一代男』を書いたのは、41歳のとき。まだ俳諧師として活躍していた頃だ。当初は、ごく親しい友人に限って配ったものだったが、これが意外な好評を呼び、江戸の本屋がめをつけた。当時の一流絵師だった菱川師宣の挿絵を担当し、主人公・世之介一代の、女色・男色の諸相を描き、その斬新さと娯楽性が、町人層に大いに受け入れられた。その後、好色物ばかりではなく、雑話物・武家物・町人物など多彩な作品を発表し、浮世草子というジャンルを確立した。短い説話をまとめた形式で、色と欲、金銭に支配される人間の性を鋭く観察し、さまざまな階層の人々を描き続ける。 晩年、50歳を過ぎたあたりから、西鶴は浮世草子から遠ざかり、決別したはずの俳諧の世界に戻る。しかし、往時の軽快さは薄れ、人生を省みるような作風に転じていた。
参考文献 『日本史1000人上巻』 世界文化社 『日本史研究』 山川出版社