人種差別5

出典: Jinkawiki

目次

定義

人種差別とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。〔人種差別撤廃条約、第1条の1〕

歴史的背景

1614年、植民地時代のジェイムスタウンに最初の白人と黒人、白人とインディアン、及び黒人とインディアンの混血児が 誕生した。アメリカ独立戦争の頃までに異人種間の結婚によるカップルは6万から12万人であると言われる。第三代大統領トーマス.ジェファーソン は異人種間の結合を奨励していたようである。また、愛国者の中には経済的利点から白人とインディアンの結婚を奨励する人達もいた。しかし、大半の植民地の移民は、アフリカ人は英国人より人種的に違うというだけではなく劣るという偏見を持っていた。また、植民地への奴隷制度の導入が理由で白人と黒人間の結婚を断固として受け入れず、人種間の分離を保持する法律が制定されるようになったというのが歴史的背景である。

多人種社会としてのアメリカ

人種差別の根本的な出発点は、アメリカ合衆国というこの国が他に類をみない多様な民族・人種部分より構成される多人種社会であり、しかも、こうした多様な構成は、この国にとって外から与えられ押し付けられたといった性格のものではなく。植民地時代以来今日にいたるアメリカ社会の自体の発展の仕組みそのものによって、むしろ内在的に形成されてきた、という事実そのものである。アメリカには、人種差別を正当化する様々な法律が存在し、その一部は2000年まで続いた。アメリカ合衆国憲法修正第十四及び第十五条は性別、国籍、及び肌の色に関係なく、同等の法的保護を保証しているにも関わらず、人種差別法は長い間様々な強制的又は任意的人種隔離を招く結果になった。歴史的顕著な例に、1661年以後制定した異種族間結婚に反対する法律、1830年代のインディアン撤去法1860年代のブラック.コードと1870年後半に制定されたジム.クロウ法、及び1882年の中国人排斥法がある。


参考文献

大塚秀之「アメリカ合衆国史と人種差別」(1982)大月書店


  人間科学大事典

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