伊東甲子太郎
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生い立ち
[生]1835年(天保5年) [没]1867年(慶応3年) 常陸新治郡中志築生まれ。長男として生まれる。本名は鈴木大蔵。
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剣術流儀
神道無念流剣術、北辰一刀流剣術
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生涯
藤堂平助の呼びかけにより、尊王攘夷派であった伊藤は新選組に加盟する。新撰組に加盟してからは、土方歳三と同等の扱いである参謀の地位を得る。しかし慶応三年三月十日に新撰組を離脱。この時に15人で新撰組を離れるが、その中には斎藤一、藤堂平助も入っていた。しかし、斎藤一は実際に新撰組を離脱したのではなく、伊東の対してのスパイであった。このスパイとして加わっていた斎藤の密告により、近藤暗殺計画は明るみになり伊藤率いる高台寺党破壊を計画される。隊の運営資金を新撰組に依頼した件を利用し、近藤の側女宅に伊東は呼び出される。この呼び出しに忠告をするものもいたが、公明正大をもって由としている伊東は、卑劣なまねはするまいと一笑に伏す。しかし、木津屋橋を東に渡っているところを長槍で突き刺されてしまう。そして「奸賊輩」と最後に叫び息絶える。享年三十二歳であった。伊東の死体は、七条油小路まで引きずられ高台寺党のおびき出しに使われる。その待ち伏せには、新撰組の原田佐之助、永倉新八が加わっている。
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参考
新選組468隊士大名鑑[完全版] 特別監修壬生狼友の会 黒川俊一 小池書院
http://www.geocities.jp/str_homepage/rekishi/bakumatsu/shinsengumi/taishi/kashitaro.html
ペンネーム:N.A