佐賀空襲
出典: Jinkawiki
佐賀空襲は、1945年8月5日午後11時台から翌6日の午前1時ごろにかけて、佐賀市周辺に行われた空襲。
65機の米軍機B29の編隊が飛来、現在の佐賀市川副町や同市諸富町を中心に焼夷弾を投下し、61人が死亡、443戸が焼失した。
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概要
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作戦任務第312号
- 日付 1945年8月5・6日
- 目標 佐賀市街地
- 参加部隊 第58航空団
- 出撃機数 65機
- 第一目標爆撃機数の割合 96.92%(63機)
- 爆弾の型と信管 M19 500ポンド焼夷収束弾 目標上空5,000フィートで解束するようセット。
T4E4 500ポンド破片収束弾 投下3,000フィートで解束するようセット。
M64 500ポンド通常爆弾 無延期弾底と近接信管弾頭 - 投下爆弾トン数 458.9トン
- 第一目標上空時間 5日23時41分~23時56分
- 攻撃高度 12,400~15,500フィート
- 目標上空の天候 0/10-9/10
- 損失機数合計 1機
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備考
本来の標的は同市中心部の市街地だったが、灯火管制が完全でB-29が目標を確認できず、周辺地帯へ投弾した結果、佐賀市街地の焼失面積無しということになった。
ただし周辺の寺社なども被害を受け、上記の通り多くの死傷者をだしている。
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参考資料
小山仁示訳『日本空襲の全容』東方出版
太平洋戦争研究会『アメリカ軍の日本焦土作戦』河出書房新社