倹約令

出典: Jinkawiki

 倹約令とは、江戸時代、幕府や諸藩が頻発した質素倹約に関する法令のことである。江戸時代以前には、奢侈禁止令を「過差の禁」といったが、江戸時代に入って一般に倹約令と称するようになった。とくに、江戸時代は士民に対してきわめて頻繁に質素倹約を命じている。また、町人に対しても、彼らが経済的に実力を伸長した17世紀後半以降、しきりにその奢りを禁止する旨の法律が出されている。従来 郷中法度において命じていた各自の分限に応じた質素な生活を、徹底させようとしたものである。


倹約令の目的

 倹約令には①単に節約奨励、奢侈禁止を目的とするものと、②幕府の財政緊縮を目的とするものとがある。①は、これによって士農工商の身分秩序を維持し、分限を超えた奢侈を抑えようとするもので、幕初から幕末までほとんど常時発せられた。しかし、幕府が禁じた奢侈とは、17世紀後半以降は商品生産の展開による経済の発展、生活の向上によってもたらされたものであったため、その実効性となると甚だ疑問であるとされている。  一方、②のほうは、幕府財政の消長とほぼ並行して享保の改革(1716~45)以降とくに顕著に見られ、ことに1783年(天明3)に財政緊縮令が出てからは7年、5年、あるいは3年間の期限付きで次々に延長され、この法令はほとんど切れ目なく幕末に至っている。概して享保、寛政、天保の、いわゆる三大改革期は、風俗取締令と絡めて、とくに厳重な倹約令が断行された。諸藩でも藩政改革が行われた際に、藩士や領民に対して倹約令が頻発された。  倹約令において強調されたものは、「身分相応」ということである。近世社会はいうまでもなく身分制社会であった。倹約令は、身分制の分限をこえた生活をおさえることに重点が置かれていたのである。つまり、生活のすみずみにおよぶ細かな規制は、農村の荒廃、本百姓体制のゆらぎをなくし安定した農業生産を維持していくという幕府、諸藩の財政難克服のためのひとつの方策ではあったが、同時に次第にゆるみつつある身分格式を再度しめ直して、身分制社会を守り抜こうとする政策でもあったのである。


時代背景

 江戸時代、幕府の生活や諸藩の生活は農民からの年貢で成り立っていた。時代が進むにつれて、新田開発や農具の改良により生産力が向上したが、幕府の抱えている財政問題を解決するほどではなかった。そこに度重なるききんや一揆などにより、作柄の減少という事態が生じると、ますます幕府財政は厳しいものになっていた。天保の時期になると江戸での文化が発達し、農民が江戸に流れ出るという事態も起こった。これにより農業従事者の減少も重なり、農民の農業離れが進んでいたことが背景としてあげられる。


引用文献

佐藤 晃洋  http://www.e-obs.com/heo/heodata/n250.htm

渡邊 靜夫 1994 日本大百科全書8 小学館

ハンドル名:クリフ


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