児童虐待
出典: Jinkawiki
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児童虐待の現状
今日、ニュースなどのメディアで注目される児童虐待。親の物心つかない自分の子供への折檻や放置。現在の日本において児童虐待はどれほど行われているのか。
児童虐待には5つのタイプがある。
- 身体的虐待:外傷の残る暴行、あるいは生命に関わる暴行
- 保護の怠慢及び拒否:捨て子、衣食住の清潔さについて子供の健康を損なう放置。(ネグレクト)
- 性的虐待
- 理的虐待:その他の重大な心理的外傷を与えると考えられる行為。
- 社会的虐待:戦争や貧困の状態におく、災害やその後劣悪な環境におく。
特に1~4においては両親やベビーシッターなどの養育者によってなされる場合が多く、深く子供の心身を傷つけるものである。
平成16年、児童虐待防止法が改正され、「子ども・子育て応援プラン」が制定された。児童虐待の早期発見のためのネットワーク及び児童相談所の施設の見直しを図るためだ。しかし、改正後の児童虐待数は増える一方で、平成19年度の児童相談所の相談処理数は40,639件。そのうち身体的虐待は40.1%、ネグレクトは38.0%である。虐待を受ける子供の年齢の内訳は0~3歳児が全体の18.3%、3~学齢前児が23.9%、小学生は38.1%、中学生や高校生に対する虐待もあり、14.5%である。この数字から解る通り、児童虐待のほとんどが乳幼児に対して行われていることがわかる。また、0歳児への虐待は死亡事故にいたる場合が最も多い。
児童虐待への対応は、一般の相談とは違う、いくつかの特徴がある。米国では40余年の児童虐待に対する歴史があり、対策活動の中心となったケンプ博士が虐待の起こる4つの要因を挙げている。
- 虐待する親は、身体的または情緒不安定があり、もしくは虐待経験がある。
- 親から見て、子供を愛せない失望感に陥る。
- 危機が必ず生じる
- 危機が生じたときに、援助に有効なライフライン・コミュニケーションラインが途絶している。
特に、1,2は、現代の児童虐待のほとんどに関わる要因であると考えられる。親は育児への不安や上手くいかないことへの苛立ちを、子供への暴力やネグレクトという形で表している。現代、核家族化が進み、地域住民との関係が薄れている中、親は初めての育児に対する援助をどこからも受けられずにいるのである。子育て支援のネットワークが徐々に充実してきているが、その対象となる親たちが、そのシステムを十分に活用できていない現実がある。
虐待を受ける子供
子供にとって、親は絶対的な存在である。虐待の多い幼児期の子供にとってはなおさらである。虐待を受ける子供たちは、虐待を受けているのは自分自身に問題があるからだと考え、親に対する非難を決してしない。そして、それでも虐待をされないように自身を守ろうとする。「親の期待や願いに応える良い子になればいい」とニコニコと過剰にマスクをかぶったようにふるまったり、その反面で、かんしゃくを起こしたり、友人に暴力をふるったりと、自身が親から受けた暴力を体現する。子供は親を忠実に写す鏡だといわれる。子供は親がしていることを何でも行う。そのため、虐待を受ける子供は攻撃的になり、そうすることで自身を守ろうとするのだ。
しかし、そういった行為をする自分も「悪い子である」という意識になり、自分自身の存在価値を否定し、自尊感情の低下を招く。自分を護り、愛してくれる存在からの暴力は、一人で生きていけない子供にとっては死とも同義である。そして、被虐待児は「自分を愛する人からは暴力を振るわれる」という間違った概念にとらわれ、他人への信頼を失っていくのである。また、いつ殴られるかとびくびくしながら過ごす日常は、子供に常に高い緊張感を強いている。そのため、心を落ち着かせることがなく、楽しい事柄を普通に楽しめることもなくなり、精神的に疲れ、無気力になっていく。
乳幼児期の心理的発達は、その後の人間関係に大きな影響力を持っている。親から愛され、自分自身の価値を認めることで、他人への信頼感を育む。これこそが対人関係を結んでいく大きな基盤となるのだ。しかし、被虐待児は、親からの十分な愛情を受けられないために、心理的発達にも異常をきたす。 人間関係の発達的基盤である乳幼児期に、こうした親からの暴力を受け、リラックスできない状況におかれることによって、子供たちは成長しても、心理的発達の課題を引きずり、新しい人間関係を育むことが難しくなっているのである。親に愛されること、そうした当たり前の経験が、その後の正常な人間関係の形成に重要な役割を持っているのだ。
虐待をする親
自分の子供に虐待をする親は、情緒的不安を抱えている。無抵抗な子供に対して暴力を振るうという人間性に欠けた行為をしてしまう裏側には、母親の苦悩が見え隠れしているのである。
虐待をする親はかつて虐待される子供だった。子供の頃に受けた虐待を、大人になって自身の子供に繰り返す。何故、されてきたことを自身の子供に体現してしまうのか。先ほど述べたように、虐待を受けた子供たちは、心身的に大きな障害を残してしまう。特に、情緒不安定であったり、心理的発達に障害が見られたりする。そういった子供たちは、障害を抱えたまま大人になってしまうのではないだろうか。自身では気づかない心の奥底に潜んだ傷によって、虐待を行ってしまう。もちろん、それ以外の要因も数多くある。経済的困窮や社会的孤立によって、情緒不安定になり、アルコール依存症や精神病を患った親が子供に虐待を行う。子ども自身が、親からの期待に応えられない、などの原因を抱えているために、虐待を行うという要因も考えられるが、それは、当然のことである。子供がすべて親の思うとおりに行動するなどと考えていることが間違っている。その期待に反したからという理由で虐待を行うのは遺憾に思う。
虐待をする親、特に母親は、「虐待をしているか」という詰問に対し、「しつけである」という言葉を使ってその場をしのぐ傾向がある。母親本人に「しつけだ」と言われてしまえば、第3者はそれいじょう深く追求することが出来なくなる。しかし、私はそういう母親こそ、自分自身が行っているしつけが正しいものなのか、むしろ虐待してしまう現状を誰かにわかって欲しいのではないかと思う。自分の子供に暴力を与えているという事実を認めたくないからこそそういう言葉を使うのである。裏を返せば、そういう母親は自身に虐待を行っているという自覚があるのである。
暴力を与えられる子供に焦点が当たりがちである。それは当然のことだと思う。何より子供は被害者であり、無抵抗の子供に暴力を、愛するべき親が与えているなど、許しがたい行為である。しかし、もし親が正常に子供を愛せない心理状態にいたのなら、子供に虐待を行う前に、救いの手を差し伸べてあげて欲しい。誰かが気づき、そして然るべき場所でいきいきと子育てが出来る状況に戻すこと。それが大切なのだ。
発見からアフターケアまで
児童虐待を発見・解決するためには、何より、第3者の存在が不可欠である。虐待を「他の家のこと」と割り切らず、然るべき場所に相談することである。児童虐待防止法6条では、「児童虐待を受けた児童を発見した者は、速やかに、これを児童福祉法第25条の規定により通告しなければならない」と規定している。虐待を受ける子供を救うためには、第3者の存在が何より重要なのである。虐待をされる子供たちは、虐待をする親を決して非難しようとしない。何故ならば、生きていくために必要な存在だからである。また、虐待をする親も、第3者からの救いの手を待っているのだ。
しかし、児童虐待に法的に対応するには、異なった3つのアプローチがある。
- 刑事法的アプローチ:虐待の加害者を傷害罪や保護者責任者遺棄罪等で処罰する。
- 家族法的アプローチ:親子分離などのために親権の制限を行う。
- 福祉的アプローチ:虐待を受けた子供に福祉的な手立てを講じる。
1,に関しては、早期に子供の安全を確保できるが、残された子供への福祉的措置が必要であり、里親など親と別居する状態になるのであれば、いっそう心のケアが重要である。また、2,に関しては、家族維持が出来る利点があるが、再び虐待が行われるようなことがあってはならないため、判断が難しいアプローチである。
いずれにしても、家族・親子という本来最も親密である関係について扱うので、細心の注意が必要になる。
参考文献
http://www.crc-japan.net/index.php
http://www1.kyoto-be.ne.jp/ed-center/sodan/cp3/3_6sinritokutyou.htm