公共の福祉
出典: Jinkawiki
日本国憲法が保障する基本的人権は、「侵すことのできない永久の権利」(十一条・九十七条)として最大限に保障されなければならない。しかし、人権は自分一人のものではなく、他人の権利を無視した人権の行使は認められない。よって憲法では各人権に個別的に、その制約の根拠や程度を規定はせず、一般的に「公共の福祉」による制約が、「内在的制約」として存在することを定めている。すなわち十二条で、国民は基本的人権を「公共の福祉のために」利用する責任を負うとし、十三条では国民の権利については、「公共の福祉に反しない限り」、国政の上で最大の尊重を必要とすることを定めている。また、経済的自由(職業の自由、財産権)については、条文上で「公共の福祉」による制約があることを特に規定している(二十二条・三十九条)。 ここにいう「公共の福祉」という概念は、漠然としていて、定かではないので、一義的に定義できないが、その概念の根底には、人間の社会的生活の本質に由来するといえるだろう。現代の私たちの生活は、他者との関わりを常に持つ社会的実存としての生活である。そこには必然的に社会的一員として、絶対的な自由は本来的にありえなく、他人との調和、調整の上に生活は成り立つ。「公共の福祉」という概念は、このような社会的共同生活の利益を意味する。つまり、個々の個人の個別的利益に対して、ときにはそれを社会的側面から制約、調整する機能をもつ、公共的利益を意味する概念といえる。
フランス人権宣言で「自由とは他の者を害しないすべてのことをなし得ることをいう。故に各人の自然的権利の行使は、社会の他の各員をして、同一の権利を享有せしめることを確保することのほかには制限を有しない」(四条)と定めているが、この規定は、社会における人間の自由や権利における、当然の制約の在り方を簡潔に示したものといえるだろう。日本国憲法の「公共の福祉」による制約の意味もまた、基本的には、この規定の意味と異ならない。
このような意味をもつ「公共の福祉」は、憲法第三章の基本的人権に内在しているもので、いずれの権利についての解釈にも適用される性質のものだと考えられる。他方、前述したように、条文上に特に明記された「経済的自由権」に比べて、「精神的自由」については、慎重でなければならないとも考えられる。とりわけ精神的自由のなかでも、個々の内面的世界の、思想、良心にかかわる自由に対しては、その制約は許されないと解されている。また、最近の判例の流れとして、基本的人権の制約の理由として、単純に、抽象的な「公共の福祉」の概念を直接的に用いることを避ける傾向がある。すなわち、すべての人権について具体的に、それを制限することによってもたらされる利益と、それを制限しない場合に維持される利益とを比較するいわゆる「比較衡量」を示して、制約の限度として理由づける動きがみられる。
なお、「公共の福祉」に類する言葉に、「全体の利益」とか「公益優先」という言葉がある。いずれも全体主義的な政治体制のなかで使用され、人権が制限された苦い歴史であった。現憲法における「公共の福祉」は、それらと異質のもので、あくまでも個人主義に立脚した民主社会の調和、調整としての機能をもつ、公共的利益を意味するものであることに注意する必要がある。
【引用文献】
『日本国憲法概説』圓谷勝男著,高文堂出版社,平成11年
『高等学校 政治・経済』筒井若水編著,数研出版,平成9年