公害3

出典: Jinkawiki

目次

公害とは何か

 人類はおよそ20万年前に地球上に現れて以来、文明を開き、科学技術を発展させることで豊かな暮らしを手に入れてきた。特に、18世紀末の産業革命以降は、各種鉱工業、とりわけ重工業が急速に発展し、現在の高度な文明社会における豊かで快適な生活基盤を築き上げてきた。日本でも、明治の文明開花の時代を迎え、20世紀初頭になると、富国強兵政策のもと、西洋から新しい科学技術を取り入れ、産業の近代化が協力に進められた。しかし、それにともなって、排水、排煙、および各種廃棄物の量も急速に増し、また質的にも、人類の生存にとって有害性の大きい廃棄物が発生するようになった。これらの、廃棄物が、河川・湖沼の水質汚濁や大気汚染などの環境の悪化をまねき、幾多の厳しい人災を起こした。これを公害という。

水質汚濁の歴史

 日本における水質汚濁の歴史は、1870年代後半の栃木県足尾銅山の銅を含む排水による渡良瀬川水系の魚や農作物への被害から始まる。第二次世界大戦後1950年代になると、化学工場からの未処理排水中の重金属による汚染が、人への健康被害を与えるまでになった。このような被害に対して、責任ある企業や行政の対応は遅く、原因究明、被害拡大防止、被害者の救済などの対策が後手後手に回った。1971年にようやく環境庁が設置され、水質保全法や工場排水規則法などの法整備が行われると、水域の指定や水質基準が設けられて、法令による規制がはじまった。一方、企業側では、科学技術の発展に伴って、工場の生産整備を閉鎖型にして周辺環境と切り離し、廃棄物を回収することが可能になっている。このようななかで、いかに、有害物質の流出を食い止めるか、一般市民の安全と環境保全について取り組むかが企業の社会的責任となっている。

大気汚染の歴史

 人類の進化は、火の使用と切り離すことはできない。各時代において、火は生活の中に広く取り入れられていた。大気汚染と関わりの深い燃料は、石炭と石油である。特に石炭は、蒸気機関の開発により、工場の動力や輸送機関用として大量に消費され、煤煙と亜硫酸ガスなどによる局地的な汚染を発生させてきた。日本における大気汚染の歴史は、やはり足尾銅山からの煤煙によって、農作物に影響をあたえ、付近の山々の草木が枯れ果てるという煤煙あたりまでさかのぼることができる。各種公害対策により、亜硫酸ガスの被害が一段落した1970年代には、あらたな公害として光化学スモッグが多発するようなった。これは、窒素酸化物や炭化水素などに太陽の紫外線が作用し、オゾンなどの酸化物の強い物質が生じるものであることがわかってきたので、原因物質の発生を抑える対策をとっているが、現在でもその深刻さは変わらない。

参考文献

『地球環境の教科書10講』(2005)左巻健男・平山明彦・九里徳泰 東京書籍株式会社

T.K


  人間科学大事典

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