創氏改名
出典: Jinkawiki
創氏改名は、「内鮮一体」政策の一環として1940年から朝鮮ではじまった政策である。
朝鮮の姓と日本の氏は違う。朝鮮での姓は血のつながりを表すのに対し、氏は家の名称とされていた。姓は結婚・養子になったりしても変わらないが、氏は相手先のものに変わる。朝鮮には全くなかった氏を朝鮮人に強制的につけさせたのが創氏である。また、日本式の名前に変えることを改名といい、創氏改名とはこれらを組み合わせた単語である。これは単に、個人の名前を変えるだけでなく、朝鮮の伝統的な家族制度を解体して天皇制日本の家族制度に再編成し、祖先とのつながりを断ち切ってしまうことを意味する。
この制度を導入した目的は、朝鮮での徴兵制実施を念頭に置いていたからだ。名前を奪われた朝鮮人を日本人に仕立て上げ、徴兵するために、慣習を無視した政策が行われた。表向きは申告制であったが、事実上強制であった。創氏改名をしない生徒は学校にすら通うことを許されなかった。
創氏改名によって姓がまったくなくなったわけではなかったが、いろんな場面で日本式の名前が強要された。
参考文献
『未来を開く歴史 東アジア三国の近現代史』日中韓三国共通歴史教材研究会 編著、2006年、高文研