労働問題の改善

出典: Jinkawiki

目次

労働問題の始まり

産業革命期の労働者は、どこの国でも、非常に劣悪な労働条件の下で働いていた。 明治後期の日本でも、ある紡績工場では、女工たちを1日12時間に2交代制で働かせ、休日は月に1回程度、 他に盆と正月に数日間の休みが取れるだけという状態であった。  このころから、労働者たちは組織を作って団結し、経営者と交渉して労働条件を改善しようとしはじめた。 こうしてわが国でも労働運動が始まり、大正から昭和初期にかけて、次第に活発になっていった。 しかし、治安警察法、治安維持法によって、運動は厳しい弾圧を受け、完全につぶされてしまった。

労働基本権の確立

第二次世界大戦が終わって、労働運動を取り締まる法律は廃止され、労働組合が急速に結成される中で、 労働組合法・労働関係調整法が制定された。 さらに、日本国憲法の制定によって、労働者の勤労権と並んで、団結権・団体交渉権・団体行動権(労働三権)が 保障された(第27・28条)。 これらの権利は労働基本権と呼ばれ、労使関係を近代化するための前提となった。 これを受けて、労働基準法が制定され、労働契約の内容、賃金の支払い方法など、労使関係の在り方が 具体的に規定されることになった。 労働組合法・労働関係調整法・労働基準法は労働三権と呼ばれている。

労働三法

労働組合法は、労働者が労働組合を作って団結し労使対等の立場で使用者と団体交渉を行って、 労働条件その他に関する労働協約を結ぶことを認めている。 そして、労働組合が行うストライキなどの争議行為は、正当なものである限り責任を問われないとしている。 また、使用者が労働組合運動を妨害したり、正当な理由もなく団体交渉を否定したりするなどを、不当労働行為として禁止している。  労働関係調整法は、労使の間の紛争が自主的に解決できない場合、労働委員会が斡旋・調停・仲裁などの形で調整することを定めている。  労働基準法は、労働条件の最低基準を定め、労働者の保護をはかろうとするものである。 この法律は、賃金・労働時間、休日・休暇・休憩時間、女性・年少労働者の保護などの基準を定めている。

これからの課題

戦後の労働運動の発展によって、労働者の地位や発言力は高まった。 賃金も、経済の高度成長に伴い大幅に上昇し、円の対外価値が上がったこともあり、欧米の国々を上回るようになった。 しかし、物価水準が高いため、購買力でみた賃金は高くはない。 年間労働時間も、日本はヨーロッパの国々に比べるとまだかなり多く、サービス残業も存在する。 また、「過労死」という悲惨な問題もある。ワークシェアリング(仕事のわかちあい)を導入するなどして、 労働時間や残業時間を減らし、ゆとりある生活を築くことが今後の課題である。

参考文献

新版 現代社会


  人間科学大事典

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