北方領土問題5
出典: Jinkawiki
1概要
北方領土とは第二次世界大戦に絡み、ソ連が占領した歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の4つの島を指す。現在は、日ロ両国が自国の領土と主張し、ロシアが実効支配している。このような、北方領土をめぐる日本とロシアの領有権の対立の問題のこと。
2国境を確定する条約とその推移
1855年2月、日本とロシアの間で初めて国境を確定した日露和親条約が結ばれた。両国の国境線は、択捉島とウルップ島間に定められた。樺太島には国境を設けず、これまで通り両国民の「混住の地」にすると定められた。日本政府は、この条約を根拠に「北方領土はこの時に日本領となった」とする立場をとっている。 1875年、日本はロシアと樺太千島交換条約を締結。日本は樺太島の領有権を放棄するかわり、千島列島をロシアから譲り受けた。この条約では、シュムシュ島からウルップ島までの18の島々の名を「千島列島」として列挙している。この条約を根拠に、日本政府は現在に至るまで「歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の北方四島は、千島列島に含まない」としている。1904年、日露両国で日露戦争が勃発。これに勝利した日本は1905年、ポーツマス条約で南樺太を獲得した。 第二次世界大戦中の1941年4月、日本とソ連は日ソ中立条約を締結し、両国は互いに中立を保った。だが、広島に原爆が投下されてから2日後の1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告した。8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏。しかしソ連軍はその後も千島列島を南下し、9月5日までに「北方領土」を占領。ロシア側は「第二次世界大戦で北方領土は合法的に自国領になったと」主張し、現在に至る。
3日本の対応
1951年、日本は連合国とサンフランシスコ講和条約を締結。この条約で日本は、戦前に領有していた台湾や朝鮮半島をはじめ南樺太・千島列島を放棄することが確定した。しかし、日本全権だった吉田茂首相が「歯舞、色丹が北海道の一部で、千島に属さず、択捉島と国後島は元から日本の領土だった」と述べた。その後、鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相はモスクワで「日ソ共同宣言」に署名。戦争状態の終結と国交回復がなされた。しかし、ソ連側は歯舞群島、色丹島の「二島返還」を主張したが、日本側は「四島返還」での継続協議を要求したため、折り合いが合わず。北方領土問題の解決には至らなかった。
4引用
https://www.huffingtonpost.jp/2016/05/24/hoppo-ryoudo-kaisetsu_n_10113020.html
和田春樹 北方領土問題 歴史と未来 (1999年朝日選書)
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