北方領土問題6

出典: Jinkawiki

目次

北方領土問題の契機


 択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島には第二次世界大戦前、約1万7000人の日本人が住んでいた。大戦末期の1945年八月九日、ソ連は。日ソ中立条約を破棄して日本に参戦。日本はその直後、日本の主権を本州、北海道、九州、四国と「われら(米英中)の決定する諸小島」に限定したポツダム宣言を受諾し降伏した。ところが、その後もソ連は攻撃を続け、「降伏文書調印式」が行われた9月2日までに、国後・択捉・色丹の三島をその3日後の9月5日には歯舞をも占領した。日本政府は、歴史上、国際法上も、北方領土は日本の領土だとしてソ連・ロシアに対して返還を求めている。

ロシアはなぜ北方領土にこだわるのか

1.軍事的に重要な拠点自国の軍港周辺の海が冬場は凍結するため、軍艦が外海へと出て行けない。これは冷戦時代に合って、軍事上、致命傷ともなりかねないものであった。北方領土の周りには凍結しない部分があるため、軍事上、好都合となる。 2.漁業資源が豊富 北方領土周辺は漁業資源が豊富である。この漁業資源だけで、今もロシアは年間10億ドルの収入を上げていると言われている。

北方領土に関わる諸問題

1.ロシアによる日本の漁船の拿捕 日本とロシアが定める境界線が異なることで、本来的には、自国の排他的経済水域に入っただけの日本の漁船をロシア船が拿捕するという事件が頻発している。拿捕された日本漁船は1302隻。9023名の漁師が捕まり、銃撃で命を落とした人もいる。(北海道庁発表、2008年) 2.「ビザなし交流」1992年から始まる北方領土との相互訪問事業。「固有の領土である」という日本の立場に配慮し、ロシア領と認めることにならないよう、ビザなしで訪問できるようにした。これまでに元島民やその子供など約1万1500人が北方領土を訪れた。「ビザなし交流」の他に元島民と親族を対象にした墓参りと自由訪問も行われている。

日本の主張とロシアの主張

日本政府の主張 1855年の日露和親条約で、ロシアと日本の国境は得撫島と択捉島の間におかれた。こんおとき、北方四島が日本の領土であることが正式に確認されている。1945年、ソ連は、日ソ中立条約を一方的に破って参戦し、8月15日の日本降伏後に北方四島を占領した。以降今日まで続く状況は、不法占拠以外の何物でも無い。

ロシア政府の主張 1945年9月2日までは戦争中だったため不法占拠ではなく、ロシアの領土である。また、日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で千島列島を破棄している。北方四島は千島列島の一部なので、日本のものではない。



参考文献 フォーラム現代社会・東京法令出版株式会社

マンガ尖閣・竹島・北方領土 山本皓一 ブックマン社

ハンドルネーム kジンカ


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