北朝鮮

出典: Jinkawiki

北朝鮮



目次

北朝鮮という国家

 北朝鮮は、金正日時代の1998年に憲法を改正、社会主義国にとって大原則ともいうべき「党の軍への優位」を「軍優位」に変えた。廃止された国家主席に代わり新たに権力が集中したのは国防委員会の国防委員長でこのポストが国家の最高指導者となった。最新の憲法でも国防委員会の任務として「先軍革命路線を貫徹するための国家の重要政策をたてる」をあげている。  金日成総書記は、不正腐敗が横行していた党の幹部・官僚を信用せず、軍人に頼った。豊かな韓国の情報流入に伴う体制崩壊への恐れから中国のような改革・開放政策を採用できないため、軍中心の体制を選択したのである。しかし鎖国政策・核保有政策は民主の軽視につながるとともに国際社会の制裁を呼び経済は悪化した。


金王朝

 2011年末の金正日死去、翌年4月15日の金日成生誕100年を機に北朝鮮は労働党規約と憲法を改正、3代の一族を次のように位置づけ、金正恩が党と国家の最高ポストに就任。

金日成……永遠の国家主席 金正日……永遠の党総書記、永遠の国防委員長 金正恩……党第一書記、国防委員会第一書記

10年に党の規約序文から「共産主義社会の建設」が外された一方、12年に全社会の「金日成・金正日主義化」が加わった。改正憲法序文には「金日成同志並び金正日同志は…崇高な人徳政治で人民を見守り率いられて、全社会を一致団結した一つの大家庭に転変させられた」と書かれ、金日成一族を中心とした「家族国家」観が垣間見える。金正恩の外見や演説スタイルが金日成を模倣していると指摘されるのも、そのカリスマ性に依存しようとしているからである。


対外的孤独が生んだ独裁政治

 北朝鮮の政治体制の根底にあるのは古典社会主義の労働党一党独裁体制だが、同民族である韓国との戦争と対峙、中ソ対立による真の友好国不在という対外的危機感が、伝統的儒教的思考様式とミックスされ、「金王朝」とも言われる一族体制が形成された。強固な独裁体制ゆえにますます軍依存も深まり(=先軍政治)、経済面での改革・開放政策も難しく、外交面でも「核」カードに頼って相手国を交渉の席に着かせようとしている


参考文献

「北朝鮮――変貌を続ける独裁国家」 著 平岩俊二  中公新書 「北朝鮮の指導体制と後退―-金正日から金正恩へ」 著 平井久志  岩波現代文庫


投稿者 N


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