北朝鮮難民

出典: Jinkawiki

北朝鮮難民 北朝鮮から中国へ


‐なぜ難民が生まれたのか‐

 北朝鮮から中国に飢民が出てきているらしいという情報が出始めたのは、1995年の終わりごろからである。80年代初頭には北朝鮮住民がすでに深刻な食糧不足・物資不足に悩まされていた。その後東西冷戦が終焉を迎え、ソ連が崩壊した91年を過ぎてからは、北朝鮮の経済は「深刻なのではなく破綻した」状況だと盛んに報じられた。東欧社会主義圏の市場が消え、援助も止まったことがとどめの一撃となった。  食糧・物資の不足が飢餓の段階にまで達し、死者まで発生して中国に住民流出が始まったとなると、もはや単なる経済問題ではなく、人間の生の根源的な問題であり、北朝鮮政権の崩壊、さらに朝鮮半島危機の可能性も出てくる。


‐北朝鮮から脱出する困難と脱出の経路‐

 北朝鮮には、移動・居住地選択の自由がない。朝鮮民主主義人民共和国憲法の第七十五条には「公民は、居住・旅行の自由を有する」とあるが、現実には住民たちは自分が居住している道(日本の都道府県にあたるもの)から外に移動・旅行をするには、必ず「通行証」の発給を受けなければならない。仕事での出張や家族・親族の不幸などの正当な理由がないと発給を受けるのは難しいが、賄賂によって通行証の発給はかなり融通がきくようになった。また、一般的な「通行証」だけでは行くことのできない特別な地域がある。朝中国境地域と軍事分界線地域である。この地域に行くためには、通行証に加えて「承認番号」まで受けなければならない。  中国へ脱出する経路は国境に接近する方向によって種々あるが、大きく3段階にわけられる。承認番号地域外のぎりぎりの地点まで・承認番号地域のなかの国境都市や街まで・国境都市や街から国境の川までである。


‐取り締まりの強化‐

 98年以降、中国側の難民取り締まりも厳しくなった。辺防部隊(辺境防衛武装警察隊)と呼ばれる国境警備隊が内陸に向かう幹線道路で検問を行い、越境者を匿っていないか抜き打ちで民家を回った。越境者が内陸に拡散しないよう水際で阻止する作戦である。国境の村々には、「不法越境者を助けるべからず、留め置くべからず」という札が立てられ、違反した場合は2~5000元の罰金が科せられる。越境してきた実兄を匿っていた住民も辺防部隊に見つかり罰金の2000元を払う羽目になった。幸い匿っていたのが肉親だったため逮捕は免れたが、北朝鮮にできるだけ早く送り帰すように命じられ、血の繋がった兄を北朝鮮に送り出した。匿った人物が肉親であろうと関係ないのである。

参考文献

石丸次郎(2002)『北朝鮮難民』講談社

北朝鮮と難民問題についてhttp://www.dprk-nk.com/archives/384


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