北朝鮮2

出典: Jinkawiki

北朝鮮2


目次

北朝鮮の基礎データ

正式国名 朝鮮民主主義人民共和国

面積 12万平方キロメートル(日本の33%に相当)

人口 約2、515、5万人

首都 平壌(ピョンヤン)

民族 朝鮮民族

言語 朝鮮語

宗教 仏教徒連盟、キリスト教徒連盟の団体があるとされるが信者数等は不明

通貨 ウォン

北朝鮮の歴史

1945年8月15日、日本の連合国に対する無条件降伏を表明した玉音放送を通じ、朝鮮民族は解放の日を迎えた。1910年以来の植民地支配から解放された朝鮮人は、これで近代民族国家を樹立する悲願を達成することができると信じて疑わなかった。日本は1876年に日朝修好条規という不平等条約を朝鮮政府に強要することで、近代における日朝の不幸な出会いを生み出した。そして、明治政府は日清、日露戦争を通じて朝鮮半島を侵略、支配権を確立し、1905年に保護条約を通じ朝鮮半島の外交権を奪い、1910年には大韓帝国を併合して日本の領土にした。植民地化に至る過程で朝鮮民族は武装闘争を含む激しい抵抗闘争を行い、植民地化以降も朝鮮内外での粘り強い抵抗が続いた。いまだ植民地支配下にあった1944年、日本の敗戦に備えてヨ・ウニョンをはじめとした民族運動指導者たちは地下組織を結成した。この建国同盟が基盤となり、日本の敗戦を受けて8月15日に朝鮮建国準備委員会が誕生した。健凖は完全な独立国家の建設、民主主義政権の樹立をその目標として掲げていた。しかし、朝鮮民族のまったく関知しないところで、朝鮮半島を分割占領する計画が策定されていた。第二次世界大戦末期、日本は本土決戦を叫んでいて、1945年7月のポツダム会談の当時のあっても、簡単に降伏するとは考えられてなかった。だが、広島、長崎への原爆投下とソ連の対日宣戦布告を経て、8月10日に日本は連合国にポツダム宣言の受諾を伝えた。米国は日本が意外に早く無条件降伏を受け入れたことを受け、1945年8月10日から翌日にかけての国務、陸軍、海軍三省調整委員会の会議において急遽、朝鮮半島の分割占領について決断することを迫られた。そしてソウルを米国の占領地域に含むことができる、北緯38度線というアイデアを生み出した。米国当局者はこの案をソ連が受け入れないかもしれないと考えたが、ソ連政府はこれを承認した。こうして、朝鮮民族が一切かかわらないところで、米ソによる分割占領が決定された。1945年12月にモスクワで米英ソ三国外相会談が開かれ、朝鮮半島の五年間の信託統治と米ソ両軍司令官による監督が公式化された。米ソ共同委員会は46年以降、朝鮮民族による政府樹立に向けて協議を開始した。しかし、クリスチャンや民族主義者と地域行政当局との衝突も発生し、少なからぬ人々が南に逃れることとなった。逆に米軍が支配する南側では朝鮮共産党が弾圧され、朝鮮労働組合全国評議会など、労働者、農民の運動も抑え込まれた。朝鮮共産党などの指導者たちは北に逃れざるをえなかった。そのあとも46年のチャーチル首相による鉄のカーテン演説や47年のトルーマン・ドクトリン発表を転換点として、米ソの冷戦は本格化した。これは朝鮮半島にも影を落とした。南にいながら中道派として、国内政治の左右両派の調停、および米軍政との連携を試み、朝鮮半島が分断されることを阻止しようとしたヨ・ウニョンが暗殺された。南では独立運動を行った上海臨時政府の要人であり、右派とされるキム・グも暗殺された。48年4月3日を起点として始まった済州島での総選挙反対闘争は四・三蜂起と呼ばれ、三万人もの島民が命を失った。こうしてたくさんの犠牲者を出しながら48年8月15日、南側の政権として大韓民国が成立した。北側ではこれに対抗し、9月9日、北朝鮮が成立した。

北朝鮮の主要機関

1、国防委員会 国家主権の最高国防指導機関つまり最高指導者 金正日(キム・ジョンイル)は「永遠の国防委員会委員長」

2、最高人民会議(最高主権機関・立法権を行使・一院制・議席数687・任期5年)

3、内閣(最高主権の行政的執行機関)

4、朝鮮人民軍

北朝鮮の政党

朝鮮労働党(北朝鮮のすべての組織活動を指導。党員約300万名)

第一書記:金正恩

政治局常務委員会:金正恩、金永南

政治局員:朴奉珠(パク・ポンジュ)など

書記:金己男

基本政策

北朝鮮の政治は、主体思想(北朝鮮憲法では「人間中心の世界観であり人民大衆の自主性を実現するための革命思想」と規定)及び先軍思想を基礎とし、朝鮮労働党の指導の下にすべての活動を行うとされている。 また北朝鮮は、第二次世界大戦、朝鮮戦争後、ソ連の例にならって計画経済体制を導入。配給制度に元ずき、指導者が生産手段を含め経済全体を管理している。北朝鮮が現在外交関係を有している国家は162ヵ国で、北朝鮮は従来、善隣友好外交を掲げ、主に旧東側諸国及び非同盟諸国との外交活動を展開してきたが、2000年に入り、英独をはじめとして多くの西側諸国との外交関係を樹立した。2007年には外交活動を活発化させ、アラブ等五か国と新たに外交関係を樹立した他、1983年のラングーン事件を機に断行していたミャンマーとの外交関係も回復させた。

北朝鮮の軍事

北朝鮮の兵力は100万人を超えるとされ、その約3分の2を軍事境界線から100キロメートル以内に配置。(米韓両軍の地上兵力は60万人)。北朝鮮は、兵器の近代化の遅れを補完する等の理由から、大量兵器、ミサイルの開発・配備を進めている。兵役は義務兵役制で兵力は陸軍102万、海軍6万、空軍11万となっている。 2006年10月、2009年5月、2013年2月に核実験を実施し、2012年4月に改訂された憲法は、自らが核保有国であることが明記された。弾道ミサイル発射も繰り返し実施してきており、依然として核・ミサイル開発に力をいれている。

拉致問題について

1970頃から80年頃にかけて、北朝鮮による日本人拉致が多発した。現在、17名が政府によって拉致被害者としてにんていされている。平成14年9月に北朝鮮は日本人拉致を認め、謝罪し、再発の防止を約束しました。そして、同年10月に5人の被害者が帰国したが、ほかの被害者については、平成16年5月の日朝首脳会談において、北朝鮮側より、直ちに真相究明のための徹底した調査を再開す明言があったのにも関わらず、未だ北朝鮮から納得のいく説明はない。拉致問題は、日本の国家主権及び国民の生命と安全に関わる重大な問題であり、この問題の解決なくして日朝の国交正常化はない。


参考文献

・『北朝鮮を知るための51章』石坂浩一 明石書店 2006年発行

・『北朝鮮はいま』北朝鮮研究学会編 石坂浩一監訳 岩波新書 2007年発行

・外務省公式ホームページ http://www.mofa.go.jp./mofaj/area/n_korea/index.html


投稿者 N


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