十字軍2
出典: Jinkawiki
概要
十字軍運動とは、11世紀~13世紀にかけて行われた西欧のキリスト教徒による西アジアのイスラム教圏への軍事活動である。1095年のクレルモン宗教会議においてウルバヌス2世によって提唱され、1096年から1270年にかけての7回行われた。
十字軍の歴史
第1回は1096年に行われた。目的はファーティマ朝の支配下にあったイェルサレムを占領することであり、1099年に占領が完了した後にはイェルサレム王国を建国した。同時期に民衆によって自発的に行われた十字軍も存在した。 第2回はイェルサレム王国のエデッサ伯国が1144年にザンギー朝に滅ぼされたことを受けて、ルイ7世とコンラート3世がそれぞれ十字軍を組織した。1147年からダマスクスの攻略が始まったが、思うように成果が上がらず攻略には失敗した。 第3回は1187年にヒッティーンの戦いに敗れ、イェルサレムを奪われたことから、イギリスのリチャード1世、ドイツのフリードリッヒ1世、フランスのフィリップ2世ら英仏独の3国が参戦し1189年から遠征が始まったが、聖地を取り戻すことは出来ず、聖地を安全に巡礼できることを約束するにとどまった。 第4回は前回までのイェルサレムが目的ではなく、コンスタンティノープルの占領が目的となった。背景にはヴェネツィア商人達の東方貿易への独占欲があり、周辺の都市やエーゲ海の島を更に占領した後はコンスタンティノープルを中心にラテン帝国が建国された。 第5回は1229年にフリードリッヒ2世の先導によって行われた。1228年にアイユーブ朝内での内紛を機に遠征を始め、最終的には交渉によってイェルサレムを譲り受けた。この運動はローマ教皇ではなくローマ皇帝の主導であったこともあり、正式な十字軍としては認められないという見方もされる。 第6回は1248年にルイ9世によって起こったものであったが、アイユーブ朝との戦いの中で国王自身が捕虜として捕まってしまい失敗。王朝もマムルーク朝となったため失敗となった。 第7回は同じくルイ9世が主導となって始まったが、前回の敗戦などから周囲の士気は低く、ルイ9世自身も現地でチフスに感染し、そのまま無くなった。以後十字軍遠征が行われることはなく、これが最後となった。
参考図書 NHKブックス 十字軍という聖戦 キリスト教世界の解放のための戦い 八塚 春児 著
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