南北問題6

出典: Jinkawiki

南北問題の概要

 北半球の先進工業国と南半球の発展途上国との経済格差に集約される国際経済の構造的諸問題。 その名称の由来は、1959年末、イギリスのロイズ銀行会長オリバー・フランクスが東西対立とともに現代の世界が直面する二代問題の一つとして〈南北問題〉を指摘したのにはじまる。 南北問題の本質は、19世紀以来、不平等な国際分業体制の下で、原燃料供給地として発達した南の熱帯・亜熱帯の国々が、先進工業国と対等の地位に立つことをめざして、北の先進国との経済関係調整にのりだしたことにある。 南の国々が先進国の植民地であった時代には〈南北問題〉は存在せず、〈植民地問題〉〈植民地政策〉のみが存在していた。第二次大戦後、これらの国々が独立をしはじめ、経済開発が課題にのぼるとともに〈後進国開発〉という言葉が登場した。 南北問題という言葉が生まれるのは1950年代末、南の国々の大半が独立し、北に対する要求をはじめ、南北の利害対立が人々のいしきにのぼるようになってのことである。

1961年には国連の場で、アメリカのケネディ大統領主唱の下に、1960年代を<国連開発の10年>として開発のための国際協力を進める宣言が行われた。 また、翌62年には、非同盟諸国の呼びかけによりカイロで、〈開発途上国の経済発展会議〉が初めてアジア、アフリカ諸国とラテン・アメリカ(キューバ)の3大陸の代表を集めて開催された。この会議で同時に<発展途上国>という言葉が用いられ、それまでの<後発国><低開発国>に代わって、国連用語に採用されることになった。 64年にジュネーブで開かれた国連貿易開発会議で、3大陸の国々は77カ国グループ(以下G77)を結成し、ここに南の国々が初めてグループ化した。 G77はそれ以後、UNCTADの場での南北問題、新国際経済秩序を推進する役割を担っている。以下、1960〜90年代の南北問題の推移をながめ、南北問題の現状、 主要争点、そして将来展望を考えることにしたい。

        参考文献:世界代百科事典(平凡社、2009年改訂版) 南北・南南問題(室井義雄著、山川出版、1997年)


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