南北問題8
出典: Jinkawiki
南北問題の概要
1960年代に入って国際社会において世界的な注目を浴びてきた南北問題は,国連貿易開発会議(UNCTAD)を初め,ガット,FAO,OECD,エカフェ,東南アジア開発閣僚会議等の,全世界的あるいは地域的な場においてますます注目されるに至っている。
南北問題は発展途上国の経済開発と貿易に関連する諸問題を指す総称である。このような開発と貿易の問題には発展途上国の自助努力,地域協力,および国際協力の三者が一体となって対処しなければならないという基本的な考え方が次第に確立されつつある。UNCTADなどの国際機関を通じ求められている国際協力の必要性が強く認識されるに至った背景には,発展途上国と先進諸国との間の経済格差,なかんずく発展途上国と先進国の間に存在する1人当りの所得水準の格差が拡大しつつあるという事実がある。すなわち1960年以降1965年までの1人当りの実質国民総生産の伸び率をみると,発展途上国のそれは2.0%にとどまり,先進国の年率3.6%よりはるかに低い。1966年における発展途上国の実質経済成長率は4.5%とかなり高かったが,発展途上国の近年の人口増加率は年間2.5%で,先進国の1.2%の倍以上であるため,1人当りの伸び率でみると,先進国の平均3.8%をはるかに下回り,2.0%に留まっている。
しかしながら先進国と発展途上国との間の経済格差自体は何も新しい問題ではない。それが南北問題として脚光をあびるに至ったのは,結局その政治性に由来するところが大きい。
すなわち現在,発展途上の諸国は国連を中心に国際社会において相当強い発言権を獲得しつつあり,発展途上の諸国は南北問題に関する限り,一致団結して,かかる国際的な発言権を背景に先進国側に対し,発展途上国経済の発展のために国際経済秩序の変革,具体的にはとくに発展途上国の輸出所得の拡大のための諸方策の実施,および援助の拡充を要求している。
そもそも発展途上の諸国においては,低い貯蓄率,低い技術水準等の国内的困難のほか,発展途上の諸国の輸出所得の約90%を占める一次産品の輸出は,全体としては伸び悩んでおり,この結果,多くの発展途上国は国内経済開発に必要とする諸資材等の輸入が困難となっており,国際収支難の点からも経済開発の遂行が阻まれている。また,先進諸国よりの発展途上国向け資金の流れ(純額)は近年停滞気味であり,他面,発展途上国の債務累積問題は次第に深刻化している。
こうした経済困難にあえぐ発展途上国が「離陸」し,安定した発展段階をたどる方策として,まず第一に発展途上国自らの貿易を促進して,輸出所得の拡大を図ることが重視され,そのための諸措置(発展途上国関心品目に対する貿易障害の除去,一次産品の価格安定,製品,半製品に対する特恵供与等)が強く要求されるようになっている。また同時に,経済開発促進のために,先進国による資金,技術援助の強化を求める声もますます強まる傾向にある。
南北問題解決の努力
1968年2月から3月にかけてニュー・デリーで開催された第2回UNCTADは,こうした発展途上国の貿易および開発問題の総決算ともいうべき大会議であったが,その結果は,特恵,援助等について原則的合意が得られたものの,発展途上国側にとっては実りの少ない会議であり,満足のゆくものではなかった。
ニュー・デリー会議以後の1年間を振返ってみると,新砂糖協定の成立,特恵実施に関する西側先進諸国の作業の進展といった若干の具体的成果もみられるが,とくに注目すべきは,開発問題について新しいとり組み方,すなわち第2次「国連開発の10年」の作成が大きな焦点となってきたことである。
その後特恵については,OECDの場において先進諸国間での討議が行なわれ,各国がそれぞれ独自の作業仮説に基づいて工業製品,半製品については特恵供与の例外としたい品目の暫定的リスト,農産加工品については特恵を供与できる品目の暫定的リストをOECDに提出し,これに基づいてOECDにおいて検討することとなり,1969年3月中に米国,カナダ等を除く先進諸国のリストが提出された。他方,発展途上国の関係では,第2回UNCTADで採択された決議に基づき1968年11月ジュネーヴにおいて第1回UNCTAD特恵特別委員会が開催されたが,先進国間の作業があまり進展していなかったために実質的な討議は行なわれなかった。
発展途上国の輸出の8割以上を占める一次産品貿易の安定と拡大については,第2回UNCTADにおいてココアおよび砂糖について商品協定を早期に締結すべきこと,および採油用種子,油脂,天然ゴム,ジュート,硬質繊維等について緊急に国際的措置をとるべきこととの決議が行なわれた。砂糖については,その後1968年10月国連砂糖会議において新協定が採択され,69年1月1日より暫定発効したが,ココアについては,目下のところココア価格が高水準にあることもあってその後進展を見ていない。その他の商品については,各種研究会やFAOの研究部会等において問題点の究明,商品協定締結の可能性についての検討が行なわれているが,具体的成果は見られていない。
第2回UNCTAD以後の南北問題をめぐる動きとして特に注目すべきは,開発問題について新しいとり組み方,すなわち第2次「国連開発の10年」の作成が大きな焦点となってきたことである。
「国連開発の10年」は,1961年ケネディ大統領の提案に基づいて国連が決議したもので1960年代の終りには発展途上国の年間経済成長率を5%に引上げようとするものであったが,この目標の達成はもはや困難視されるに至った。そこで1970年代を迎えるに当って,新しい観点から第2次「国連開発の10年」を作成しようとの動きが国連で起り、国連経済社会理事会が中心となってその準備作業を進め,1969年秋の第24回国連総会に世界開発戦略案を提出し,1970年早々に最終案を作成することになった。
第2次「国連開発の10年」は,国連諸機関,専門機関等の協力の下に,総合的な世界開発戦略を策定しようとするものであるが,とくに貿易と援助面では,UNCTADの重要な役割が強調されている。発展途上国側は第2次「国連開発の10年」の目標を達成するために,UNCTADでこれまでとり上げられてきた広範囲な貿易,開発に関する国際的諸措置について,第2次「国連開発の10年」の発足前に合意に達するよう,先進国側に迫っている。
このようにUNCTADの場における先進諸国に対する対決姿勢と平行して,発展途上の諸国においても,経済社会の総合的開発を急務として自助努力を意欲的に進めているが,これを推進する学識経験者,その実施にあたる熟練技術者等の人材の不足に悩んでいる。このような現状にかんがみ,これらの諸国は,独立を維持し長期的繁栄に導くものは根底において人間にほかならないとの認識に基づき,高度の知識および技術を習得した人材の養成およびその基盤としての教育の充実発展に真剣に取組み,経済開発計画とともに,教育発展計画を策定し,その実施に努めている。
これら諸国は単に自国内の教育発展計画の遂行に努めるのみならず,同じ問題をかかえる他の国々と共同して,教育振興の基本的問題につき調査,研究,立案,訓練等の形で相互に協力しており,また先進諸国も単独に,あるいは国際機関を通じて個々の発展途上国に,または地域協力機構に対して財政援助や技術援助を行なっている。
南北問題をめぐる国際的な動きは上述してきたとおりであるが,南北問題の解決は根本的には発展途上国における「経済成長を妨げる古い障害物や抵抗を克服」するための国民の熱烈な意欲,政府による賢明な自助努力なくして達成されるものではないことはいうまでもない。しかし発展途上国の安定と繁栄なくして世界の平和を確立しえないことを考えるとき,発展途上の諸国のかかる努力とあわせて,先進諸国の協力が強く望まれるのであり,先進諸国としては貿易面,援助面の双方から発展途上の諸国に協力すべき責務を有しているといえよう。
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