南北問題14

出典: Jinkawiki

第5章 南北問題

真の「豊かさ」とは何であろうか。「安全」や「環境」は価値、あるいは概念そのものにそれほど複雑な要素はなかったが、「戦争」は誰から見ても「安全」に対する脅威である。

しかし、豊かさとは決してひとつの基準で計ることはできない価値である。

例えば、忙しい仕事に携わって自分の時間をとれないような生活をしているが、経済的には極めて恵まれており、過大な収入がある人と、仕事はそこそこしていてそれほど十分な収入はないが、とりあえず慎ましやかな生活をしており、自分の趣味を活かして気持ちとしては充実している人と、どちらが「豊か」なのだろうか。

私個人の考えでは、後者のほうが真の「豊かさ」を持っていると考える。しかし、前者の場合でも、自分の仕事に誇りを持っており、やりがいを感じていればそれは、その人にとって真の「豊かさ」なのだと思う。それに、資料にも書いてあるように、前者の「豊かさ」は、明確な指標によって計ることができるが、後者の「豊かさ」は主観的なものであるから、指標によって比較考察することはできない。だから、現在の国際社会を主導する人たちが計る指標は前者ということになる。このように考えると、「豊かさ」とは難しい問題であると思う。

国際社会において「豊かさ」の問題を取り扱うときに、これまで「南北問題」という言葉、あるいは国家間の経済格差という形で検討されてきた。

南北問題とは、北半球の先進国と南半球に多い途上国の貧富の格差とそれに関連した政治的・経済的・文化的格差の国際的構造をいう。

ひとつひとつの国によって、文化が違うのは当たり前であるから、それに格差をつけることは決して良いことではない。

南北問題として国際的な貧富の格差を扱うときには、近代化された北と近代化していない南という前提がある。しかし、「近代化」そのものの価値付けについては自明ではない。むしろ、近代化されたことによって失われたものがあり、近代以前の方がずっと人々は豊かな心で生きていたというような感覚もある。前の章で環境問題につて考えたように、近代化したことによって、人々が暮らしていく中の便利さ(経済面)という面では豊かになっている。しかし、それによって環境が破壊されるようになっていることを考えると、先に述べた後者の豊かさが見いだせなくなってくのではないか。


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