南北戦争3
出典: Jinkawiki
期間:1861年4月~1865年4月
アメリカ合衆国史上最大の戦争。最初の近代的な「総力戦」でもある。最終的に、国力に勝る連邦側(北軍)が南部連合を軍事的に敗北させることで決着した。
背景
開戦の原因は、直接的には新たに誕生する州を奴隷州にするか自由州にするかで揉めたことだが、根本的には南部と北部の経済構造や社会構造や政治的風土や文化その他の相違に求めることができる。
それらの相違の中で最も決定的な原因となったのは、連邦と州の関係をどう考えるか、という部分だった。
南部諸州は「州」が集まって合衆国を作った以上、州を守るためには連邦から離脱してもよいと考えた。逆に、それ(州単位での連邦から脱退)を認めると合衆国が消滅してしまうから許してはならない、というのが北部側(リンカーン)の基本的な立場だった。
開戦まで
1820年のミズーリ協定による妥協は、1854年のカンザス・ネブラスカ法によって完全に崩壊した。奴隷制の可否を住民の意志によって決定するという同法の内容は、結果として焦点となったカンザスに急進的な奴隷制支持派と急進的な奴隷制反対派を次々に呼び寄せ、衝突を煽ることになった。
1860年、奴隷制度反対派を結集した共和党から、リンカーンが大統領に当選した。リンカーン自身は連邦制度の維持のためならば妥協も止むなしとしていた。だが、それまでの対立と非難の応酬から、南部諸州はついに連邦離脱に踏み切った。
1861年2月4日までに南部の7州が連邦から脱退、アラバマ州モンゴメリーでアメリカ連合国を結成した。
南軍は連邦からの離脱と独立の獲得を目的とし、北軍は南部諸州の離脱阻止・連邦への再統合を目的とした。
開戦~マナサス
南部諸州は手近な連邦政府資産、つまりは軍事施設の接収を図っていた。彼らは1861年4月12日、サウスカロライナ州のサムター要塞で、ついに立てこもった連邦軍と直接戦火を交えるにいたる。要塞は2日間の戦いの後に降伏した。一般にはこの戦いを以て、南北戦争の開始とする。
さて、リンカーン大統領は反乱の鎮圧を行うため、7万5千の志願兵の募集を始めた。事態は決定的となり、ヴァージニア州をはじめとする4州が連邦を離脱して南部連合に参加、これで計11州が連合に属することになった。言うまでもなくヴァージニア州は首都ワシントンの対岸に位置する。さらに南部連合はその首都をヴァージニア州都リッチモンドと定めた。
後世の後知恵で批判するのであれば、連邦も連合も、この新大陸で戦われようとしている「新しい戦争」がなんたるかをまるで理解していなかった。メリーランド州の連邦離脱の動きが抑えられ、首都に続々と戦力が結集するにつれ、リッチモンドへ侵攻して戦争を終わらせるべきだという意見が台頭してきた。実際問題、ワシントンとリッチモンドはたかだか100マイルちょっとしか離れてないのだから、本気で進撃すればすぐに到達できるように見えた。
こうして世論に押される形でリンカーンはマクダウェル将軍に3万の兵を与えて進軍を命じた。ワシントンの南西30マイルに位置する交通の要衝、マナサスに居座るボーリガード将軍率いる南軍部隊を攻撃させるためである。
7月21日、マナサスの戦いが行われた。いずれも未経験なアマチュアの軍隊そのものだった両軍は混沌とした戦いを続けた。最終的には増援を効果的に投入できた南軍が勝利を収めた。北軍は混乱して潰走し、南軍は北軍の残した物資を略奪して混乱した。
参考文献
南北戦争―49の作戦図で読む詳細戦記 学研M文庫 クレイグ・L. シモンズ (著) 友清 理士 (翻訳)
世界の戦争8 アメリカの戦争 講談社 猿谷 要/編
編集者 M.M