原始共産制
出典: Jinkawiki
主として理論的に人類の原始時代に想定されている共産主義。政治的抑圧と経済的不平等のない、したがって国家と私有財産のない理想郷は、啓蒙(けいもう)思想によって、自由で孤立した原始人の世界として描かれた(ルソー『人間不平等起源論』1753)。19世紀なかばを過ぎると、ロシアやドイツの土地を共有する村落共同体が研究され、それらはスラブ人、ゲルマン人の原始共産制の遺制と考えられた。またインドの村落共同体も当時の素朴な進化論的歴史観によって、ヨーロッパ諸国民が歴史発展の出発点にもっていた社会と同一視された。こうして人類史は、孤立人ではなく土地共有の共産主義的共同体をもって始まると考えられるようになった。当初この共同体は家父長制的家族の拡大した種族団体で、したがって平等といっても家長たちの間のことで、婦人の隷属と奴隷制が付随するものとされていたが、ルイス・モーガン『古代社会』(1877)によって、種族は家族より早く現れ、しかも血統はむしろ母系を本源的なものとすると主張され、かくて原始制は婦人の隷属も奴隷制も知らないまったく自由で平等な社会とされた。それは生産手段の共有、生産物の平等な分配、能力に応じて働き必要に応じて受け取る原則をもち、だれも他人に隷属していない点で共産主義的であるが、マルクス主義が未来に展望する共産主義が大工業の発展によるあり余る生産力を前提するのに対し、ここでは搾取の可能性さえない生産力の低さを基礎とし、また未来では自由な諸個人がその力を自覚的に結合する連合であるのに対し、ここでは個人格は未成立で共同体へ埋没している点で原始的である。この理論の実証上の基礎となった事実認識の多くは今日では疑われている。しかし人類はなんらかの群・社会をもって歴史を始めたこと、絶対的貧困には搾取が成立しないことから、原始共産制の理論はなお有効である。
プラトンの原始共産制的階級社会
プラトンの理想とした国家像は原始共産制的階級社会というべきものであった。原始的とはいえ、共産主義と階級社会とは相容れないもののように考えられがちであるが、プラトンはこれらを融合させて、究極の超国家主義的な社会のありかたを理想のものとして夢見たのであった。 プラトンの考えによれば、すべての人間が平等ということはありえなかった。人間には能力や資質において歴然とした差がある。だから国家社会は、人間のこの差を前提にして運営されなければならない。思慮に欠けた人間たちは、統治に与らせるべきではなく、国を守るべきものは、それに相応しい勇気を持たねばならない。 プラトンがこのような考えを抱くに至った背景には、貴族の生まれであるという彼自身の出自と、当時のアテナイに行われていた民主政治への反発があった。彼の師匠ソクラテスを死に追いやったのは、ほかならぬアテナイの民主政治であった。民主政治は衆愚政治をもたらす。その結果高貴なものは排除されて、俗悪なものがはびこる。こうプラトンは考えたのである。
参考)
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%8E%9F%E5%A7%8B%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%88%B6/