原子力発電20
出典: Jinkawiki
原子力発電のしくみ
原子力発電所の原理は火力発電と同じ。火力発電所のボイラーにあたるものが原子炉で、この中でウラン燃料が核分裂を起こして熱をつくっている。この熱により水を水蒸気に変え、タービンを回し、電気をつくっている。わずかな量の燃料で大量のエネルギーを生み出し、一度燃料を入れると、少なくとも、1年間連続運転ができる。 日本の商業用の原子炉には、沸騰水型原子炉(BWR:Boiling Water Reactor)と加圧水型原子炉(PWR:Pressurized Water Reactor)の2種類がありますが、これらをまとめて軽水炉と呼びます。
ウラン燃料
原子力発電所の燃料はウランだが、このうち核分裂をするのはウラン235。ウラン235は天然ウランの中に0.7%程度しか含まれていないため、この割合を2~4%程度まで濃縮し、その後さまざまな工程を経て、直径約1cm、高さ約1cmの円柱状(ペレット)に焼き固める。これを合金製の長い管の中に収めたものを燃料棒と呼び、それらをいくつも束ねて燃料集合体とする。110万kW級沸騰水型軽水炉では764体の燃料集合体を原子炉の中に装荷する。 炉内でウラン235が中性子を吸収すると核分裂が起き、大きな熱エネルギーが発生する。また、そのときにウラン235の原子核から2~3個の中性子が飛び出す。この中性子はさらに別のウランの原子核に吸収され、次々と核分裂が連鎖的に起こる。このように、核分裂が連鎖反応することにより膨大な熱エネルギーが発生する。
原子炉:沸騰水型軽水炉(BWR)
原子炉は核分裂の際に発生する熱エネルギーを取り出す装置。わが国で建設・運転されている原子炉はほとんどが軽水炉。軽水炉とは核分裂によって発生した熱を高温・高圧の蒸気として取り出す冷却剤や中性子のスピードをおとす減速材に普通の水(軽水)を使用する原子炉のことで、世界で最も多く採用されている。
タービン、発電機
原子炉から配管を通って送られてくる高温・高圧の蒸気の力によってタービンを回し、タービンにつながる発電機を回して電気をつくる。このように蒸気の力でタービンを回し発電を行うしくみは火力発電と同じ。
復水器
タービンを回し終えた蒸気を冷やして水に戻すのが復水器の役目。 復水器の中には太さ約3cmの冷却管が4~5万本もあり、この中を海水が通り、蒸気と混ざり合うことなくこれを冷却するしくみになっている。また、復水器は蒸気を水にして体積を減らすことにより、高い真空をつくり蒸気の流れをよくしてタービンの効率を高くする働きもする。
核燃料サイクル
再処理しないで使うと、核燃料は100年くらいしかもたないかもしれない。発展途上国が使い始めたら50年になる可能性もある。現状では、アメリカをはじめとして使用済み核燃料は「廃棄物」として捨てるのが一般的であるが、日本、フランスおよびイギリスだけは、使用済み核燃料を再処理してプルトニウムとウランを取り出し、それぞれ原子炉で再利用する再処理方式を目指している。後者の方式では、ウラン資源の有効利用になるのは自明だが、廃棄物の量が格段に少なる利点もある。 日本は、再処理を進める政策により、青森県下北半島の六ケ所村に約2兆円もの巨費を投じて商業用再処理工場を建設してきた。この再処理工場は非核兵器国で唯一のものであり、世界から特別に認められたもの。最終的な試運転段階で発生したトラブルにより、操業開始は凍結されている。 再処理方式では、抽出されたプルトニウムは、高速増殖炉(FBR)の燃料として使用されることが計画されていた。そのために福井県敦賀市に原型炉「もんじゅ」が建設されたが、約25年前のナトリウム漏れ事故で止まったままで廃炉になる予定。なお、FBRが実用化されるまでの繋ぎとして、プルトニウムをウランと混合したMOX燃料の形で普通の原子炉で燃やすプルサマールが行われていたこともある。ただ、核燃料サイクルに関する将来ビジョンは示されていないのが現状。
世界の原発の歴史
1950年代~1970年代:原発の黎明期から積極的導入期
世界ではじめて人工的に原子炉が臨界に達する(核分裂を起こす)ことができたのは、1942年、米国シカゴ大学。1951年には、世界初の原子力エネルギーを使った発電が米国で行われた。1953年の国連総会におけるアイゼンハワー米国大統領による『Atoms for Peace』と呼ばれる演説後は、世界的に原子力平和利用への注目が高まり、1957年には軍事利用への転用を防止するための国際機関としてIAEA(国際原子力機関)が設立された。こうして、原子力の平和利用が推進され始めた。 1973年に、世界中が大混乱に陥った「第一次オイルショック」が発生。世界各国は、国際政治の動向に左右されやすく不安定である石油資源に頼り過ぎることのリスクを考えるようになり、原発の設置が進んだ。
1980年代:原子力利用の低迷期
そんな中、1979年、米国ペンシルバニアのスリーマイル島で、原発事故が起こった。さらに1986年、旧・ソビエト連邦(現・ウクライナ)のチェルノブイリで原発事故が起こった。こうした事故の発生、また一方で石油を始めとするエネルギーの資源価格が安定していたこともあり、それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなった。
1990年代~2000年代:原発への回帰
アジア地域の急速な経済成長などを背景に、世界のエネルギー需要が急増する一方、原油資源の供給は伸び悩み、エネルギーの需給はひっ迫し始める。さらに、この頃から地球温暖化に対する問題意識が高まり、各国がCO2などの温室効果ガス排出抑制に取り組むこととなる。こうした背景から、先進国および新興国で原発の建設が進められた。
2010年代~:ポスト福島
2011年、福島第一原発事故が起こった。世界では、この事故を受け、あらためて複数の国・地域が脱原発の方針を表明した。一方で、温暖化対策やエネルギー安全保障のために原発を選択し、引き続き利用する国が多く存在しているのも事実。
参考文献・参考資料
刑部真弘「エネルギーと環境問題の疑問」(成山堂書店、2018年)、 東京電力 http://www.tepco.co.jp/electricity/mechanism_and_facilities/power_generation/nuclear_power/index-j.html (最終検索日;2019年1月14日)、 経済産業省資源エネルギー庁 http://www.enecho.meti.go.jp/about/special/tokushu/nuclear/sekainonuclear.html (最終検索日;2019年1月14日)
ハンドルネーム なお