原子爆弾
出典: Jinkawiki
原爆と略される。ウランやプルトニウムなどの放射性元素の核分裂反応を利用し爆発させる核兵器である。広島・長崎に投下されたことでも分かるように、通常の兵器と比べ、莫大な威力を持つ。 初の原子爆弾はアメリカがマンハッタン計画により開発したものである。1945年7月16日に実験に成功している。その約1ヶ月後に日本の広島・長崎に投下し20万あまりの民間人死亡している。 戦時中各国で研究されていたが、ドイツでは、研究の中心を担っていたウィルナー・ハイゼンベルクの理解・知識不足や、熱中性子を作るため必要なノルウェーの重水工場を爆破されたことにより開発できなかった。 日本では仁科芳雄らによって研究がすすめられていたが、基本的な設備・資源不足もあり独力では開発が不可能であり天皇の反対もあって断念された。 莫大な威力を持つと同時に、無差別大量殺戮できる非人道的な兵器である。戦争で使用されたのは、アメリカが広島及び長崎に投下した2発のみである。
日本に落とされた原子爆弾 広島の原爆 1945年8月6日午前8時15分にB-29「エノラ・ゲイ」から投下されたウラン型原爆。 長崎型原爆との比較から「リトル・ボーイ」と呼ばれている。 産業奨励館(現原爆ドーム)の東150m(現在の大手町1丁目付近)の上空580mで爆発。周囲2㎞の構造物は全て倒壊したといわれる。 当時の広島市の人口は34万人であり原爆による死者はおよそ12万人、負傷者8万人であった。 広島の路面電車で被爆電車が4両現在でも走行している。 長崎の原爆 1945年8月9日午前11時2分にB-29「ボックス・カー」から投下されたプルトニウム型原爆。 「ファット・マン」と呼ばれている。 長崎市北部松山町(平和記念公園)の上空550mで爆発。死傷者およそ7.5万人、負傷者7.5万人。広島に投下されたリトル・ボーイより規模が大きい原爆であったにもかかわらず、被害が広島より少なかったのは、広島が平坦な土地であるのに比べ、長崎が起伏に富んだ地形だったからだといわれている。
「リトル・ボーイ」 vs 「ファット・マン」
全長 3.12m 3,25m
直径 0.7m 1.52m
重量 5000㎏ 4545kg
威力 13kt 20kt
型 ウラン型 プルトニウム型
方式 ガンバレル方式 インプロージョン方式
参考:
原子爆弾の恐怖