厳罰主義
出典: Jinkawiki
厳罰主義
狭義には現行の刑罰をより重いものとすることをいう。広義にはこれまで制裁が明確に課されなかった行為を犯罪として処罰の対象とすることを意味する。要するに罰を罰として実施しようとするものを厳罰主義という。罰本来の意義である、復讐や見せしめとして刑罰を位置づけるものなので、必然的に、刑罰はきついほど有効となるので厳罰となる。
厳罰主義と少年法
日本でも、少年による凶悪犯罪などによりこの厳罰主義が叫ばれている。少年法改正の際注目されたのがこの厳罰化である。この厳罰化には反対派が多い。厳罰化により、保護処分に比べて個別処遇が行われにくい刑務所での実刑を受ける少年が増加する。非行へと至った少年に対しては、懲らしめの刑罰ではなく、専門家のケース・ワークや個別的処遇、さまざまな形の社会的援助によって、その少年が非行を克服して健やかな成長発達を遂げられるよう、教育的に支援することが必要である。厳しい刑罰を科すことによって、少年を長期にわたって社会や家族から切り離し、十分な教育的支援を与えないでいることは、少年が非行を克服し社会復帰することを困難にし、ひいては再犯の可能性を高めることになる。他方、刑事裁判で刑罰の弊害を避けるため刑罰の執行猶予が増える可能性も大きい。そのいずれにせよ、教育による立ち直りの機会は著しく狭められることになる。 また、刑罰の力に頼っても、被害者が被った痛み苦しみをも含め、自己の非行の意味を、少年に心底から自覚させることはできないのであり、そのためには教育的支援のなかで少年が心を開き、自他ともに人間の尊厳を尊重することができるようにしなければならない。そうしてこそ、再犯の防止と被害者への償いが可能になる。少年法の教育主義の理念は、このことを目指してきた。少年法の厳罰化という安易な方策に頼ることは、これら真に取り組むべき課題を放棄することにつながり、結局、犯罪を行なった少年の犯罪傾向を固定化させ、促進させるという皮肉な結果を生じさせる。
保護主義
保護主義は、厳罰主義とは違い、罰を本来の意義から離して、犯罪者の再教育装置として機能させようとするものである。更正が完了すれば釈放するので、被害者は憤懣やるかたないが、復讐や見せしめは非生産的で理性的でないと考えられている。 保護主義の長所は、犯罪者が更正してくれれば社会の生産力として再利用できること、成功すれば多くの人の良心をくすぐることがあげられる。短所は、被害者の心情を無視すること、犯罪抑止効果が弱いこと、コストが高くなること、更正できなければ全てが無駄に終わり、無辜の市民が恐怖に怯え新たな被害者が生まれることなどがある。 極端にいえば、厳罰主義は「被害者・無辜の市民の権利を守る主義」、保護主義は「加害者の権利を守る主義」といえるだろう。
参考引用文献