古事記
出典: Jinkawiki
古事記
三巻からなる歴史書。712年成立。現存する我が国最古の歴史書であり、天皇統治の由来と王権による国家発展の歴史を説くもの。
『古事記』の上巻は、まず「序」文から始まる。序文によると、天武天皇が稗田阿礼に誦習させていた帝紀・旧辞を、天武天皇の死後、元明天皇の命を受けて太安万侶が撰録したもの。「序」は三部構成となっており、第一段では神代から推古天皇の代までの歴史の大筋、第二段では天武天皇による歴史書の編纂事業、そして第三段では元明天皇の詔にもとづく『古事記』完成までのいきさつがまとめられている。「序」に続く、上巻での神代の記述は、一つのまとまりを持った神話の体をなしている。『日本書紀』が多くの異伝を併記して公的な史書らしい体裁を整えているのと比べると、より物語的であるともいえる。また、『日本書紀』と比べて、大国主命(オオクニヌシノカミ)を中心とした出雲神話を重点的に紹介している点も特徴である。
このように上巻は神代の物語が多く述べられているが、中巻は神武天皇から応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事が収められている。中巻と下巻の区分けについては、「仁徳天皇が半人半神の時代と人間の時代との境目にあたる」という当時の考え方にもとづくものだとする説がある。確かに応神天皇以前のエピソードは神がかり的な内容が多いが、仁徳天皇以降のものになると、骨肉の争いや恋の悩みなど、人間らしい実録風の記事が増えている。あるいは、中巻・下巻の区分けは、儒教の渡来をターニングポイントにしたのではという説もある。これは、儒教が渡米した時代を治めた応神天皇の代を中巻でしめくくり、儒教的聖帝である仁徳天皇を徳治の時代の始まりとして、下巻の冒頭に記述したのではないかというものである。
古事記の文学性
天武天皇は、『古事記』を単なる歴史の記録としてではなく、天皇家の正当性をアピールする読み物としてつくらせたと思われる。この政治性と、通常は文学とはみなされない系譜が記載されていることから、『古事記』を非文学的であるとする学者もいた。
しかし、歴史を語る際に、ある程度の政治的圧力がかかるのは避けられないことである。たとえば南北朝時代の軍記物語『太平記』も、南朝の正当性を主張すると言う立場なくして、かの物語性を際立たせることは難しかっただろう。また、系譜に関しても、いちがいに非文学的とすることはできない。古代の王家の人々は葬礼で死者の正当性を示すためその系譜をよみあげるが、『古事記』における系譜の部分は、古代人が殯(死者のための祭祀)でよみあげる美しい韻文をそのまま後世に伝えるものとして評価することができる。いにしえの響きを重視しているという意味では、伝承を記述した部分においても同様である。語り部が口承してきたものが一つにまとめられ、美しい響きの物語として成立している。そういう意味で、『古事記』は、単なる史書や神話・伝説集を超える、文学的な存在であるといえるだろう。
『古事記』の文学性を示すものとしては、和歌の使い方にも注目したい。たとえば、『古事記』で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が死の直前に読んだとされる和歌は、もとは歌垣(歌をかけあうことによって農耕の神をまつる行事)のときに女性に読みかける歌であったとされる。それが、歌が詠まれた設定を変えることで、感動的な望郷の歌へと変化している。こうした文学的な組み換えが『古事記』では数多くなされているのだ。
参考文献
・大辞林
・『古事記と日本書紀』 武光 誠著 株式会社ナツメ社 2008年8月10日発行
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