古代の天文学

出典: Jinkawiki

古代の天文学

古代の人々にとって、天体の規則正しい運動はとても不思議に感じられ、季節によって太陽の高度が変わったり、見える星が違うことから、天体の運動が地上の現象を支配していると考えた。 天文学とは天体の構造や進化、その運動を研究する学問であり、天文学が古代の人々の興味を引きつけていた証拠は世界中に残っている、例えば、イギリスにあるストーンヘンジもその一つである、この古代遺跡は紀元前2800年ごろから作られたと言われていて、日食を予言するために作られたとされている。 日食は、月が太陽を隠す現象であるが、古代の人々にとってそれは世界の終わりを彷彿とさせるものだった事だろう。そのため、古代の人々が天文学に興味を持ち、高度な知識を持つことになったのも当然といえる。

古代文明と天文学

ナイル川流域に栄えたエジプト文明とチグリス・ユーフラテス川流域に栄えたメソポタミア文明では、天文学が重要な役割を果たした。 エジプトではナイル川の洪水が始まる頃、ちょうどシリウスが日の出直前に昇ってくる時期にあたる。このことは紀元前3000年ごろには知られていたと言われている。ナイルの洪水というのは上流の肥沃な土を下流の土地にばら撒き、やせた土地を再び豊かにし、この後に種をまく事で、豊かな実りを約束する、一年で最も重要なことであった。そのためシリウスが日の出直前に昇る時期を一年の始まりとして一年が365日であるとした。また4年ごとに1年を366日とする閏年を設けたのもエジプト文明だった。 メソポタミアでは神官が天文の観測行っていた。それは、国家や王の運命を惑星の動きで占うためであり、メソポタミアにおける長年にわたる惑星の動きの記録は、占星術とともに次の時代のギリシャ人たちに引き継がれていった。メソポタミアでは月の動きから1年を12ヶ月にわけ、暦が作られた。 古代文明では天体の観測は暦を作るという実用的な意義を持っていた。

ギリシャの天文学

古代文明では宇宙は神話や宗教と切っても切れない関係にあり、天体の観測に基づいた合理的な宇宙モデルには発展しなかった、そのような宇宙モデルを考えるためには人間の精神を宗教から解放しなければならなかった、それを行ったのが、紀元前6世紀頃の古代ギリシャの自然科学者たちだった。 たとえばターレスは現在のトルコで起こった日食を予言し、ピタゴラスは地球が丸く自転していて、天体は円軌道を運動していると唱えた。 またエラトステネスによって地球の大きさも大体わかっていた。エラトステネスは紀元前200年ごろに地球の大きさを計測した。彼はエジプトのシエナでは夏至の日の正午に太陽が天頂に達し、同時刻にシエナから約900キロメートル北にあるアレキサンドリアでは太陽が天頂より7度傾いて見えることに気づき、地球が球体であること、7度につき900キロメートルあることから地球の一周の長さは45900キロメートルであると計測した。実際の地球の一周の長さは約40000キロメートルであることを考えると2000年前の計測値としてはかなり正確だといえる。


参考図書 ナツメ社発行 二間瀬敏史著 図解雑学天文学

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