合計特殊出生率
出典: Jinkawiki
合計特殊出生率とは、1人の女性が一生のうちに出産する平均子ども数である。
目次 |
人口動態統計特殊報告
厚生労働省が発表する「人口動態統計特殊報告」によると、終戦直後の出産解禁現象により生じた第1次ベビーブームの頃には期間合計特殊出生率は4.5以上の高い値を示したが、1950年代には3を割り、1975年には2を割り込むようになって将来の人口減少が予測されるようになった。さらに、2004年の合計特殊出生率は1.2888で、2003年の1.2905より低下し過去最低を更新し続け、2005年の期間合計特殊出生率も、1.26となり2004年の水準からさらに低下した。平成大不況で就職難のあおりを受けた世代がちょうど結婚や出産適齢期であったこと、景気が著しく悪く将来の生活に対する不安も大きかったことなどから考えると数字の下降はやむを得なかった面もある。2006年は30代後半である団塊ジュニア世代の高齢出産や景気回復などの理由により、1.32と大幅に回復し、翌2007年は1.34(しかし出生数そのものは前年より3000人ほど減少)、そして、2008年は1.37(前年より2000人ほど出生数が増加)と三年連続で上昇した。しかし今後は、出生数の多かった第2次ベビーブーム時に生まれた団塊ジュニア世代が出産適齢期から外れるため、情勢は不透明である。 他の先進国では日本と同様に合計特殊出生率の低下が見られ社会問題となっているが、フランスやスウェーデン、イギリス、オーストラリア、デンマークなどではここ数年出生率の上昇が見られる一方で、ドイツやイタリア、スペイン、ギリシャなど一時期よりは改善しているものの依然として出生率が低水準に留まっており、少子化問題は二極化の方向を見せている。
出生率
出生率(普通出生率)とは、人口1,000人あたりの年間出生数である。 2002年の出生率は戦後最低だった1.32となり史上最低を更新、生まれた子供の数1万6706人減の115万3866人で2年連続減、1899年の統計開始以来最低となった。また、出生数から死亡数を差し引いた自然増加数も17万1495人で過去最低となった。 出生数を母親の年代別にみると、25~29歳が前年より2万4196人減ったのが目立ち、初産の平均年齢も28.3歳と0.1歳上昇した。
国際比較
日本の少子化に歯止めがかからないばかりか、さらに深刻になっている日本の現状に対して、「女性が社会進出することで、ますます少子化が加速するのではないか」との声もあるが、国際的に見れば、女性の労働力率が低い日本、イタリアでは出生率も低く、労働力率が高いフランスの他、フィンランド、ノルウェーなどでは出生率も高くなっている。これは、女性が働きやすい社会、即ち、女性も男性も仕事と家庭を両立できる政策が進んだ国ほど、出生率が高いことを示していると言える。 現に、日本と同じく少子化が深刻なドイツやイタリアでは、育児手当や父親の育児休暇制度の充実を図るなどの対策をとり、少子化の進行にほぼ歯止めがかかっているといわれている。
日本政府の取り組み
政府は1989年に合計特殊出生率が急落した「1.57ショック」をきっかけに少子化対策に取り組んできており、政府は1995年度から少子化対策に本格的に取り組み、育児休業制度の普及や労働時間短縮などを進めてきたが、制度がなかなか浸透していない。2003年、少子化対策として「次世代育成支援対策推進法」と「少子化社会対策基本法」が施行されたが、家庭だけでなく、行政、企業、地域などが一体となって、女性も男性も働きながら、安心して子どもを産み育てられる社会環境を整えていくことが緊急の課題になっている。また、2004年の年金改革法にも、育児休業中の人の年金保険料免除期間を現行の1年から3年に延長することを盛り込み、また、児童手当の支給対象の拡大や不妊治療に対する助成制度も設けるが、出生率低下は底なしの様相を呈している。 政府は、日本の総人口は2006年をピークに減少に転じると推計されており、予想を超える少子化進行は「人口減少時代」が目前に迫ったことを示したが、厚労省人口動態・保健統計課は、「ミレニアム婚や21世紀婚の反動で2002年の結婚数が落ち込み、第1子誕生が少なかったため」の一時的傾向と分析している。
フランス政府の取り組み
フランスでは3人の子どもを9年間養育した男女に年金額を10%加算するなどし、出生率を1994年の1.65か2002年に1.88に回復させた。スウェーデンは、子どもが4歳になる間に所得が減っても、年金計算は「(1)子どもが生まれる前年の所得(2)年金加入期間の平均所得の75%(3)現行所得に基礎額(約50万円)を上乗せした金額」の3通りから最も有利なものを充てるなどの対策で、2001年に1.57だった出生率は2002年に1.65に伸びた。
1.57ショック
1989(平成元年)の合計特殊出生率、が1.57に落ち込んだことに関係者が大きなショックをおぼえたことを称してこのキーワードが生まれた。 それまでの最低は、“ひのえうま”(干支【えと】の一。第43番目に当たる。この年には火災が多く、また、この年生まれの女は夫を殺すという俗信がある)であった1966(昭和41)年の1.58だった。 この年、特殊な年の特異な現象と思われていた数字をあっさり塗り替え、少子化の“心理的歯止め”がなくなったのだからショックであった。以後合計特殊出生率はさがり続け、1999年は1.34になった。 また65歳以上の高齢人口は2,200万人にのぼり、全国民の6人に1人が65歳以上の老人である。それゆえ、21世紀初頭には人口が減少に転じるといわれている。
参考文献
「少子高齢化の死角」 高橋伸彰著 ミネルヴァ書房
「少子化と日本の経済社会」 樋口義雄編著 日本評論社