君が代
出典: Jinkawiki
君が代とは
日本の国歌。 1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で公認される以前の明治時代から国歌として扱われてきた。この曲は、平安時代に詠まれた和歌を基にした歌詞に、明治時代に林廣守が作曲した。
君が代・歴史
「君が代」は、日本が長い鎖国から目覚め、諸外国と交流を持ち、周囲の国がそれぞれ国歌と言うものを持っていることを知り、さっそく日本国国歌を作らなければと考えたことにより作られることになった。そこでまず『古今集』にあった詩を手直しして「君が代」と言う詩を創作した。そして作曲は、当時イギリス公使館にいたイギリス軍楽隊長のジョン・ウィリアム・フェルトンに作曲の依頼を出したのであった。その「君が代」は、1870(明治3)年9月8日、東京越中島での天皇閲兵の時に西謙蔵の指揮により薩摩藩軍楽隊の演奏で初演されたのである。ところが、その初演後、軍部や軍楽隊長から「あの曲は威厳に乏しく国風にそぐわないので改作をしたほうが良い」と言う意見が出されたのであった。しかし、しばらくの間は、そのフェルトン作曲の「君が代」を演奏していて、それから10年経った1880(明治13)年10月25日に宮内省楽長の林広守が作曲し直した君が代が初演されることになった。これが、現在も演奏されている「君が代」である。こうして、日本人の手による曲が出来たわけだが、その君が代の演奏や合アレンジなどはドイツ人フランツ・エッケルトが担当していた。現在、君が代で歌われている歌詞は1番しかないが、実際には2番もある。それどころか、現在歌われているのは1番の途中までである。1881(明治14)年に発行された『小学唱歌集(初篇)』の中に記載されている「君が代」の歌詞は
(1) 君が代は/千代に八千代に/さざれ石の/巌となりて/苔のむすまで/動き無く/常磐(ときわ)かきはに/限りもあらじ (2) 君が代は/千尋の底の/さざれ石の/鵜(う)のゐる磯と/あらはるるまで/限りなき/御代(みよ)の栄(さかえ)を/ほぎたてまつる
と言う物であった。現在のように1番前半までしか歌わなくなったのは、明治30年頃だと言われている。
1893(明治23)年8月12日、文部省告示「小学校祝祭日大祭儀式規定」が公布されて、小学校の祝日・大祭日の唱歌として『君が代』『一月一日』『紀元節』など8曲が定められた。しかし、それから100年間、君が代は「国歌」のように思われ続けていたが、条文にはそれを定めた物が無かったのである。そして、小渕恵三内閣のときに、国旗と国歌は我が国が成文法の国で、国旗と国歌が今まで慣習として「日の丸」「君が代」だったので、二十一世紀を迎えることを一つの契機として国旗と国歌を成文法で明確に規定することが必要だと考えたから法制化するとして、 1999(平成11)年6月29日衆院本会議 国旗・国歌法案の提案趣旨説明。 1999年 7月22日衆議院本会議 国旗・国歌法案、討論と採決。 1999年 7月28日参議院 国旗・国歌法案提案趣旨説明、質疑。を経て、1999(平成11)年、「国旗国歌法」により、正式に国歌となった。
君が代に対する様々な意見
君が代を国歌とすることについては、大部分の国民に受け入れられている。ただし、君が代の歌詞への反対意見や、教育現場での君が代斉唱反対運動は一部で見られ現在でも賛否両論が存在する。
肯定的立場からは、事実上の国歌として歌われてきた明治以来の伝統を重視するリベラル寄りの意見もあれば、政治的背景とは無関係に日本的な曲であって国歌に最もふさわしいとする意見、国民は愛国心を持つべきであるから『君が代』を歌うことでその意識を高めなければならないとする主張や、天皇への忠誠心を涵養する目的をはっきり表明する尊王的な意見もある。
反対の立場からは、歌詞は天皇崇拝の意味合いが強く(君=天皇)、軍国主義を象徴しており、君主制ではない日本にはふさわしくないとする意見がある。これに対して立憲君主制の国歌(たとえばイギリスの『女王陛下万歳』など。)と比較しても極端な天皇賛美の意味はなく、天皇象徴制の国歌ではごく普通の国歌だと考える意見もある。また、軍国主義的だという点から見ても、古い軍歌であるラ・マルセイエーズを国歌としているフランスを始めとして、過激な軍歌調或いは軍歌そのものの国歌を持っている国は多く、君が代が特別軍国主義を象徴するものではないとする意見もある。
また、小さな石が大きな岩になるという内容が非科学的であるという批判も一部にある。これに対して細石(さざれ石の項目を参照)についての詳細など、先に述べた歌詞の正確な内容がほとんど知られていない事による誤解が広まっている。小さな砂粒が大きな石になる例には、細石やストロマトライトなどが知られており、またチャートや石灰質岩により他の岩石破砕物を固結する例もよく見られることである。堆積岩、水成岩である砂岩や礫岩などは、砂の粒子が大きな岩体に固結する仕組みとも言える。しかし、それら「科学的反証」とは別に、そもそもこのような古典楽曲に科学的根拠を求める必要性があるのかという意見や、国歌とはいえ「詩」という文学的、比喩的表現の中に厳密な「科学性」を求めること自体に矛盾があるともいえる。
他の反対意見には、メロディが稚拙で、盛り上がりがなく歌いづらい、歌詞が難解、雰囲気が陰鬱、などといった純粋に音楽的な点を取り上げたものがある。