啓蒙思想
出典: Jinkawiki
1 啓蒙とは
「啓蒙」とは、「蒙(無知蒙昧の蒙。物事に暗いこと)」を「啓(ひら)く」ことで、無知を有知にする意味。18世紀フランスに起こった啓蒙思想での「無知」とは、封建社会の中で教会的な世界観の中に閉じこめられていた人々のことを言い、彼らに対して「人間」や「社会」、あるいは「世界」や「自然」の真実を教え、無知から解放することが「啓蒙」である。啓蒙思想とは一言で、「今までの先入観を見直して、理性に従って合理的に考えること」と言い換えることができる。その啓蒙思想は当時のフランスのブルボン朝ルイ15世の絶対王政と、そのもとでのアンシャンレジーム社会に対する攻撃という毒を含むこととなった。啓蒙主義とは、今までなんとなく信じられてきたものを、理性や知識によって見直し、合理的にしていこうという動きのことだ。
2 カント「啓蒙とは何か」
カントは『啓蒙とは何か』(1784)で次のように定義している。啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことが出来ないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて(サペーレ・アウデ)」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということである。カントに言わせれば、「指示待ち人間」は「未成年状態にある」
3 主な啓蒙思想家
特にその先駆的な動きをもたらしたのが、フランス啓蒙思想だ。モンテスキューの三権分立論などの国家論、ヴォルテールの宗教的寛容論、ルソーの社会契約説などが代表的な啓蒙思想である。それらの新しい思想を集大成したものがディドロとダランベールが中心となって編纂した『百科全書』であった。フランスの多くの啓蒙思想家がその執筆にあたったので彼らを百科全書派ともいう。また、ケネーは『経済表』を著して重農主義を主張し、イギリスではアダム=スミスが『諸国民の富』を著して重商主義を批判し、産業革命による資本主義経済への移行を理論付け、古典派経済学の理論を打ち立てた。彼らがこの思想を広めることにより、これらの時代に生きていた、宗教などに閉じ込められていた人々に真実を教え、彼らを無知から解放した。その結果として、啓蒙された市民たちにより、フランス革命が起こされ、絶対王政を脅かしたのだ。
参考文献
カント 木田元訳『永遠平和のために/啓蒙とは何か』(2016)光文社古典新訳文庫 木村靖二 菊本美緒 小松久雄 『詳説世界史B』(2017)山川出版社