四大公害病2
出典: Jinkawiki
概要
四大公害病とは「新潟水俣病」「四日市ぜんそく」「イタイイタイ病」「熊本水俣病」の4つの病のことを指す。公害病とは産業活動によっての有害物質等の排出,大気汚染,騒音被害等で人体に影響が出てしまうことである。日本では高度経済成長期である1950年代から1970年代に大きな4つの公害問題が発生し社会問題へとなった。
①新潟水俣病
1964年ごろ,新潟県阿賀野川流域で工場廃水中のメチル水銀が原因で発生。知覚・運動障害などの神経症状や内臓などに影響。
被害は696名に及び,1967年6月12日に昭和電工を被告として提訴した。1971年9月29日には患者側の全面勝訴。企業側に反証がない限り因果関係は推認され立証できるとし,工場廃水のメチル水銀を原因とした。四日市ぜんそく・イタイイタイ病,熊本水俣病の各裁判のきっかけとなった。企業の過失責任を初めて認定。
②四日市ぜんそく
1960年ごろ,三重県四日市市コンビナート周辺で亜硫酸ガスが原因で発生。ぜんそく発作にみまわれるほか,呼吸困難を起こす。
被害は1909名に及び,1967年9月1日に昭和四日市石油ほか5社を被告として提訴した。1972年7月24日には患者側の全面勝訴。コンビナートを形成している企業は共同して責任を負わなければならない,とした。ぜんそくは非特異的で因果関係の立証が困難であるが,被害者救済の立場から厳密な立証は不要とした。
③イタイイタイ病
戦前から,富山県神通川流域でカドミウムが原因で発生。骨がボロボロになり,「痛い痛い」と言い亡くなる。
被害は195名に及び,1968年3月9日に三井金属鉱業を被告として提訴した。1972年8月9日には患者側の全面勝訴。疫学的方法で因果関係が証明できれば賠償請求できるとし,鉱山から流れ出るカドミウムを原因とした。裁判が因果関係立証のために長期化することを避け,被害者の早期救済を図ることを優先させた。
④熊本水俣病
1953年ごろ,熊本県水俣地区周辺で工場廃水中のメチル水銀が原因で発生。症状は新潟水俣病と同様。
被害は2271名に及び,1969年6月14日にチッソを被告として提訴した。1973年3月20日には患者側の全面勝訴。チッソ工場廃水中のメチル水銀と水俣病との因果関係は肯定できる,とした。四大公害訴訟の中でも最大規模の訴訟。工場廃水の安全確認を怠ったチッソに過失責任があるとした。
四大公害訴訟
患者側が全面勝訴した四大公害訴訟は,企業や行政の公害への取り組みを大きく見直させるものとなった。1967年には公害対策基本法が制定され,1971年には環境庁が設置された。また裁判を国民の身近な存在とすることにもつながった。これらの裁判では,国や地方公共団体の対応の遅れに関する責任は直接問われなかった。行政責任を最高裁判所が認めたのは,2004年の水俣病関西訴訟判決の時である。
参考資料
『最新図説 政経』 出版 浜島書店
2012年2月3日
HN:nann