四日市ぜんそく3
出典: Jinkawiki
目次 |
[編集]
発生の原因
昭和35年、第1コンビナート(工場群)の操業が始まった。工場群は高度経済成長を歩み出した日本経済の象徴であったが、反面、住居との混在や環境への十分な配慮を欠き、排出されたガスや廃液によって大気汚染や水質汚濁などの大きな産業公害をもたらした。特にエネルギーのほとんどに、硫黄分の多い中東原油を使っていたため亜硫酸ガスの排出量が多かった。住民にぜんそく患者が多く見られることとなり、これが「四日市ぜんそく」とよばれた。
[編集]
症状
空気中の硫黄酸化物が気管支に入ると、体が反応して空気の通る気管支が狭くなり、肺に十分な酸素を送ることができなくなってしまう。息苦しくて、喉が痛み、激しい喘息の発作が起こる。症状がひどいと呼吸困難から死に至る。心臓発作や肺気腫(肺がん)を併発する場合もある。
[編集]
背景
四日市コンビナートから出ていた工場排ガスが原因であり、基準値を超えた排ガスを多く吸い込んだことが原因で、住民の呼吸器官に悪影響が出てしまった。 しかし四日市の各工場は法律で定められた基準を守って排ガスを放出していた。だが、当時の法律には総量規制がされておらず、1つ1つの企業に排ガスの基準値が設定されていても、そもそもその企業や工場の数が多ければ総量としてとてつもなく膨大な量の排ガスが蔓延してしまい、結果としてトータルでかなりの排ガスが四日市に放出されてしまった。
[編集]
参考文献
「四大公害病 水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市公害」政野淳子(2013)中公新書 「四日市公害の過去・現在・未来を問う : 「四日市学」の挑戦」朴恵淑(2012)風媒社