四日市ぜんそく5
出典: Jinkawiki
三重県四日市は戦前から紡績工場地帯として発展するが、その後火力発電所のコンビナート群が建設され、操業を始める。1953(昭和28)年ごろから伊勢湾で油くさい魚が獲れ漁業に被害が出る。1960年代初めごろから急速にぜんそく患者が増え始め、1964(昭和39)年までに約3%、40歳以上で約7パーセント、50歳以上で10%と高い発生率となっていた。 1960(昭和35)年、塩浜地区連合自治会は市に陳情し、「四日市市公害対策委員会」を設置、1962(昭和37)年には県知事に無料診療、公害防止条例の制定などを陳情する。市長の決断もあり1965(昭和40)年に治療費の自己負担を市費で支払う認定制度が発足し、第一回審査会では申請のあった18人全員が認定された。全国に先駆けたこの制度は、1970(昭和45)年の「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置府法」の原型となった。
参考文献 宮本憲一(2014)「戦後日本公害史論」岩波書店