国定教科書
出典: Jinkawiki
全国の学校で使用させるために国で著作した教科書。または、政府が全国一律に発行・配布する教科書。日本の小学校では 1903年に第1次の編集が行われ、1904年(明治37)から用いられた。第二次大戦中は師範学校・中等学校でも使用された。以後 09年、18年、33年、41年と4回にわたって修正が行われ、43年から師範学校,中等学校でも使用したが,第2次世界大戦後の教育改革により,小,中,高等学校ともに検定教科書を使用することとなった。
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採用国
かつての日本(大日本帝国)、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、タイ王国、マレーシア、イラン、ミャンマー、ロシア、トルコ、 キューバ、リビア
国定教科書への移行
1872年に義務教育制度が始まった頃は、検定済教科書が用いられていた。しかし、教科書疑獄事件の発生を受けて、1903年(明治36年)に国定教科書に改められた。
教科書疑獄事件
1902年(明治35年)に発覚した、学校の教科書採用をめぐる教科書会社と教科書採用担当者との間の贈収賄事件。1902年12月17日に金港堂,集英堂などの教科書会社が家宅捜査をうけ,県・郡視学官らが拘引されたのに始まり,翌03年3月まで県知事,県書記官,師範学校長,県会議長,教科書会社社長など200人近くが全国的に検挙された。教科書疑獄事件発覚以前から、文部省は教科書国定化を計画していた。帝国議会でも、事件発覚以前に複数回も教科書国定化の建議が提出されていた。
参考
大辞林 第三版
世界大百科事典 第2版
文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317624.htm
近代日本の教科書の歩み 大田勝司 著 - 2006 http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bitstream/10441/393/4/近代日本の教科書の歩み%E3%80%80国語.pdf