国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)
出典: Jinkawiki
国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会(英:United Nations Special Commission)とは、イラクから化学兵器・生物兵器・長距離弾道ミサイルなどの大量破壊兵器を排除することを目的とした国連の組織である。
略称はUNSCOM。
概要
湾岸戦争後、1991年4月に国際連合安全保障理事会によって行われた国連安保理停戦決議687(湾岸戦争停戦決議)に基づいて設立された特別機関である。 停戦決議においてイラクは大量破壊兵器の不保持が義務付けられており、国連がそれを確認する手段として設置した。
1996年に始まり、1998年10月にイラクが査察団を追放するまでの約7年間に渡って続けられた。 1998年末時点でまとめた報告書によると、イラクはマスタードガス砲弾550発、神経ガスVX1.5トンなどの化学兵器、2万6000リットルの炭疽菌(たんそきん)を培養するに十分な酵母を保有していたという。 イラクはUNSCOMの活動がアメリカ寄りであるとの批判を繰り返し、1998年12月にはバース党本部への査察を拒否したことから、米英両国が同年12月16日に砂漠のキツネ作戦を発動し、多国籍軍による爆撃などを起こした。
1999年1月に、イラク国内に設置した監視機器のなかに米中央情報局(CIA)向けの盗聴機器が設置されていたということが明るみになり、同委員会の中立性が問題となった。1999年12月に活動を停止し国連監視検証査察委員会に引き継がれたが、イラクのフセイン政権の崩壊により役割を終えた。
組織
本事務所はニューヨークに置き、他にバーレーンに研修所と備給拠点などをかねた事務所を、バグダッドに監視検証センター(BMVC)を置いた。 国際連合加盟国、主にアメリカから毎年5,000万ドル相当の寄付があった。
初代委員長はスウェーデンの外交官であるロルフ・エケウス。1997年7月からはオーストラリアの外交官であるリチャード・バトラーを中心とし、生物・化学兵器・ミサイルの専門家20人で構成された。 この他に多国籍の査察官100人がいる。1999年6月末にバトラーの任期が満了すると、次の委員長が選出されることはなくアメリカの外交官チャールズ・デュェルファが委員長代理を務めることになった。
活動と結果
当初は、イラク側が大量破壊兵器やその製造、保存にまつわる設備を書類で申告し、その申告書に基づいてUNSCOMの監視の下、廃棄が行われることになっていた。しかし、様々な理由から申告、廃棄の双方が計画通りには行われずに、武装解除が完了することはなかった。
成果としては次のようなものがあげられる。
・イラク側から申告されていなかったミサイルが査察活動を通じて発見される
・査察活動が行われていた期間中に亡命したイラクの高官フセイン・カマルの情報を得て生物兵器の開発、所持が明るみに出る
・申告された武器や開発設備の破棄、破壊が確認される
この結果には様々な意見があり、査察によってイラクの武装解除の推進や武器開発プログラムの遅延には効果的だという肯定的なものもあれば、むしろその査察によりイラクに対する問題が悪化したのではという否定的なものもある。