国風文化

出典: Jinkawiki

10~11世紀の文化の呼称。12世紀の院政期まで含める場合もある。「国風文化」は、藤原氏の摂関政治が恒常化する10世紀に花開いたので、別名を「藤原文化」ともいう。9世紀の唐風文化に対して、仮名の成立による国文学の発達、やまと絵・和風書道の誕生など10世紀以降の文化活動全般における和風化をもって名付けられた。

従来は、9世紀末の遣唐使廃止により中国文化の影響が薄れ、日本の風土・生活・心性などに基づいて生み出された日本独自の文化とされて理解されてきた。

しかし、10・11世紀には、民間貿易の活発化により遣唐使時代以上に中国文物の流入が増大しており、依然として中国の文化。文物が規範・理想として尊ばれていたことから、中国文化の影響が弱まったとは考えられない。むしろ、中国文化影響の拡大・浸透により、中国とは異なる日本(本朝)に対する自意識が生まれ、日本人の価値観に基づく中国文化の組換えが行われるようになったと考えられる。また、国風文化誕生の要因としては、対外的な影響のみならず、当時の貴族たちの浄土教・陰陽道・御霊などへの信仰、文化創造の場であった平安京の変容、摂関政治体制の下での文人受領の存在、官廷サロンの誕生等の状況もある。

代表建築としては『平等院鳳凰堂』があげられる。官廷文学としては『源氏物語』や『枕草子』がある。、あた、貴族のあいだで浄土信仰がはやり、数多くの阿弥陀如来がつくられた。


☆小中学校社会科の教科書での国風文化に関する記述

①国風文化が発生した時期と遣唐使が停廃された時期とほぼ同じ時期とみる見方

②国風文化発生の時期を唐の滅亡や遣唐使中止後とみる見方

③遣唐使の中止にまったく触れずに国風文化を説明する見方

以上の主に3パターンのいずれかで説明がなされている。


参考文献

・日本史B用語集(山川出版社)

・早わかり日本史(日本実業出版社)

・岩波日本史辞典(株式会社岩波書店)


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成