埼玉西武ライオンズ2
出典: Jinkawiki
埼玉西武ライオンズは埼玉県所沢市にある、西武ドーム(現:西武プリンスドーム)をホームとしたパ・リーグに属するチームのひとつである。1950年、九州博多の「西鉄クリッパーズ」の誕生から埼玉西武ライオンズの歴史は始まった。翌51年には「西鉄」というチーム名に変更し、その後、「太平洋クラブ・ライオンズ」「クラウンライター・ライオンズ」を経て、79年に「西武ライオンズ」として生まれ変わった。前身の西鉄時代を含め、21度のパシフィック・リーグ優勝、3度のプレーオフ優勝(1982年前後期制の優勝・2008年のクライマックスシリーズ優勝含む)、13度の日本シリーズ優勝、アジアシリーズ優勝など、その輝かしい成績は球史に刻まれている。 根本西武ライオンズになってからは監督が根本監督、広岡監督、森監督、東尾監督、第一次伊原監督、伊東監督、渡辺監督、第二次伊原監督、田辺監督と引き継がれている。 特に記憶に新しいものといえば 渡辺久信氏が二軍監督から一軍監督に昇格し、黒江透修氏ををヘッドコーチに、大久保博元氏を打撃コーチにするなどコーチ陣を一新した。若い指揮官、渡辺久信氏は就任一年目にして、埼玉西武ライオンズとなって初めての年で4年ぶり21回目のリーグ優勝を決めた。クライマックスシリーズでは日本ハムとファイナルステージで対戦。4勝2敗で2004年以来、4年ぶりの日本シリーズ出場を決めた。巨人との日本シリーズでは、先に巨人に2勝3敗で王手をかけられたものの、その後連勝し、4勝3敗で4年ぶりの日本一を達成したことであろう。 この輝かしい栄光を残した西武ライオンズも、一時は不祥事もあった。1969年から1971年にかけておこった幹部の八百長問題、黒い霧事件や2007年に起きた裏金事件などが例として挙げられる。西武ライオンズに限ったことではなく、プロ野球界全体でこのような事件はよく耳にするので、しっかりと見直していかなくてはならないのである。 埼玉西武ライオンズは近年優勝からは遠のいているが、チームのメンバーを若く一新したことから今後変わっていくかもしれない。
参考資料: 2009埼玉西武ライオンズ 平成21年5月1日発行 http://www.seibulions.jp/expansion/history/seibulions/index.php 埼玉西武ライオンズ公式HP
KMS