墾田永年私財法
出典: Jinkawiki
墾田永年私財法とは、743年に開墾した土地は、定められた面積にかぎって永久に私有することを認めた法令である。この政策は、登録された田地を増やすことによって土地に対する政府の支配を強める効果があったが、一方で、実際に土地を開墾できる能力を持つ貴族や寺院、地方豪族などの私有地拡大の動きを刺激することのもなった。
続日本紀
743(天平15)年5月27日、次のような詔がだされた。「聞くところによると、墾田は養老7年の格(三世一身の法)によって、期限がきれると例の通り班田収授の法を適用することになっている。そのため墾田を耕す農民は張り合いがなくて怠け、せっかく開墾した土地ももとのように荒れてしまう。今後は、墾田については自由に私有財産として認め、三世一身といった期限もつけず、すべて永久に取り上げることはしない。開墾面積については、親王の一品と貴族の一位は五百町、二品と二位の者は四百町、三品・四品と三位の者には三百町、初位から庶民までは十町と、限度を設ける。ただし、郡司の大領・小領は、三十町、主政・主張は十町とする。もし前からこの土地をこの限度以上与えられているものは、すみやかに国に返させよ。」
影響
今後の墾田は、すべて永久に取り上げないものと定められた。このため、人々は争って開墾を始め、勢力のある家は人民を駆使して墾田を増やし、貧しい人民は生活に精一杯で開墾する暇もないありさまとなった。そこで、このような状況から、今後いっさい墾田を増やすことを禁止するとした。
荘園
荘園とは、私有地である。墾田永年私財法によって土地を私有することが認められたため存在したものである。その後、この土地制度は、形を変えながらも続いていったが、応仁の乱で実質的に崩壊し、豊臣秀吉の太閤検地により「大名知行制」が成立して完全に消滅することになる。荘園は、8世紀~9世紀は「墾田地系荘園」と呼ばれ、税がかかる(輸租田)ものであった。10世紀~11世紀は「寄進地系荘園」と呼ばれ、税のかからない(不輸租田)ものとして存在していた。
参考文献
精選日本史史料集 第一学習社
日本史B 山川出版