外郎売
出典: Jinkawiki
『外郎売』(ういろううり)は、二代目市川団十郎の手による作品で、歌舞伎十八番の一つである。1718年(享保3年)1月江戸森田座の『若緑勢曽我』(わかみどりいきおいそが)において初演。
初演から300年近くが経過する今日でも時折上演される。また、俳優や声優の養成所などで、調音の練習や表現力の鍛錬のためのテキストとしてもしばしば用いられている。
概要
『外郎売』が生れた背景であるが、二代目団十郎は痰と咳の持病により舞台に立っても口上が言えずにいた。そのような折、当時小田原で薬効ありと知られていた「ういろう」を服用し療養につとめたところ、たちまちその症状が消えて健康を取り戻すことができた。喜んだ団十郎は、その薬の販売元である虎屋藤右衛門に感謝の気持ちをこめて、この作品を創作、上演するに至った。内容としては、前半は「ういろう」という丸薬の由来、および効能の説明。後半は、その効能の一つを早口言葉によって証明するという流れになっている。
外郎、異称透頂香は、頭痛をやわらげ胃熱を除き口中をさわやかにするとして歓迎された。同時に、冠や烏帽子の中におさめて頭髪の臭気を防ぐためにも用いられた。
なお、表記や、演者による漢字の読みの多少の違いは、出典をどこから引用したかによる違いである。例としては、「唇の軽重」の「唇」を「くちびる」とよむか「しん」とよむか。また「軽重」を「けいちょう」とよむか「きょうちょう」とよむか。「薬師如来も照覧あれと」の「照覧」を「じょうらん」とよむか「しょうらん」とよむかといった点である。
『外郎売』(全文)
拙者親方と申すは、御立合いの内に、ご存知のお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、相州小田原、一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして、円斉と名のりまする。元町より大晦日まで、お手に入れまする此の薬は、昔、ちんの国の唐人、外郎という人、わが朝へ来たり、帝へ参内の折から、此の薬を深く籠め置き、用うる時は一粒づつ、冠のすき間より取出す、依ってその名を、帝より「透頂香」と賜る。即ち文字には、「いただき、すく、におい」と書いて「とうちんこう」と申す。只今は此の薬、殊の外、世上に弘まり、ほうぼうに似看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと、色々に申せども、平仮名を以って「ういろう」と記せしは親方円斉ばかり、もしやお立合いの内に、熱海か塔の沢へ湯治にお出なさるるか、又は、伊勢御参宮の折からは、必ず門ちがいなされまするな。お登りならば右の方、お下りなれば左側、八方が八つ棟、おもてが三つ棟玉堂造り破風には菊に桐のとうの御紋をご赦免あって、系図正しき薬でござる。
イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、ご存知ない方には、正身の胡椒の丸呑、白河夜船、さらば一粒たべかけて、その気味合いをお目にかけましょう。先ず此の薬を、かように一粒舌の上にのせまして、腹内へ納めますると、イヤどうも言えぬは、胃、心、肺、肝がすこやかに成って、薫風喉より来り、口中微涼を生ずるが如し、魚鳥、きのこ、麺類の喰合せ、その外、万病速効あること神の如し。さて、この薬、第一の奇妙には、舌のまわることが、銭独薬がはだしで逃げる、ひょっと舌がまわり出すと、矢も楯もたまらぬじゃ。
そりゃそりゃそらそりゃ、まわってきたは、廻ってくるは、アワヤ喉、サタラナ舌に、カ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重、開合さわやかに、アカサタナハマヤラワオコソトノホモヨロオ、一つへぎへぎ二へぎほし薑、盆まめ、盆米、盆ごぼう、摘蓼、つみ豆、つみ山椒、書写山の社僧正、粉米のなまがみ、粉米のなまがみ、こん粉米のこなまがみ、繻子、緋繻子、繻子、繻珍、親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親かへい子かへい、子かへい親かへい、古栗の木の古切口、雨がっぱか、番合羽か、貴様のきゃはんも皮脚絆、我等がきゃはんも皮脚絆、しっかは袴のしっぽころびを、三針はりなかにちょと縫うて、ぬうてちょとぶんだせ、かはら撫子、野石竹、のら如来、のら如来、三のら如来に六のら如来、一寸先のお小仏に、おけつまづきゃるな、細溝にどじょにょろり、京の生鱈、奈良なま学鰹、ちょと四五貫目、お茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶煎で、お茶ちゃと立ちゃ。
来るは来るは、何が来る。高野の山のおこけら小僧、狸百匹、箸百ぜん、天目百ぱい、棒八百本。武具、馬具、武具馬具、三ぶぐばぐ、合せて武具馬具六武具馬具。菊、栗、菊栗、三菊栗、合せて菊栗、六菊栗、麦ごみ麦ごみ三麦ごみ、合せて麦ごみ六麦ごみ、あのなげしの長なぎなたは、誰が長薙刀ぞ、向うのごまがらは、荏の胡麻がらか、真胡麻がらか、あれこそほんの真胡麻がら、がらぴいがらぴい風車、おきゃがれこぼし、おきゃがれこ法師、ゆんべもこぼして又こぼした、たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりから、ちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ一丁だこ、落ちたら煮てくを、煮ても焼いても喰われぬものは、五徳、鉄きゅう、かな熊どうじに、石熊、石持、虎熊、虎きす、中にも、東寺の羅生門には茨木童子がうで栗五合つかんでおむしゃる、かの頼光のひざ元去らず、鮒、きんかん、椎茸、定めてごたんな、そば切り、そうめん、うどんか、愚鈍な小新発知、小棚の、小下の、小桶に、こ味噌が、こ有るぞ、こ杓子、こもって、こすくって、こよこせ、おっと、がってんだ、心得たんぼの、川崎、神奈川、程ヶ谷、戸塚は、走って行けば、やいとを擦りむく、三里ばかりか、藤沢、平塚、大磯がしや、小磯の宿を、七つおきして、早天そうそう、相州小田原とうちんこう、隠れござらぬ貴賤群衆の、花のお江戸の花ういろう、あれあの花を見て、お心を、おやはらぎやという、産子、這う子に至るまで、此のういろうのご評判、ご存知ないとは申されまいまいつぶり、角だせ、棒だせ、ぼうぼうまゆに、うす、杵、すりばち、ばちばち、ぐゎらぐゎらぐゎらと、羽目をはずして今日お出での何茂様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っぱり、東方世界の薬の元締、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って、ういろうは、いらっしゃりませぬか。
〈参考文献〉
・勝田久 1978 『声優への道』 勝田話法研究所
・神谷明 2001 『神谷明の声優ワンダーランド』 学習研究社
・下中直人 1988 『世界大百科事典3』 平凡社
(HN:LUPIN)