大村純忠
出典: Jinkawiki
大村 純忠 戦国時代のキリシタン大名である。父は有馬晴純で有馬義貞の弟。洗礼名はバルトロメオ。1538年に肥前の有力豪族であった大村純前の養嗣子となった。1563年にキリスト教の宣教師から洗礼を受け、日本最初のキリシタン大名となった。 領民に信仰を強制させたり寺社を破壊したりと過激な信仰を行っていた。室町時代後半、1467年に始まった応仁の乱以降、日本は内戦状態になり、大小に分裂した地域に戦国大名と呼ばれる武将たちが独自に領地を支配していました。その頃、肥前西部の大村地域を領有した戦国大名が大村純忠でした。純忠は島原地域を治めていた有馬晴純の次男で、後に17代大村純前の養子となり、18代大村領主となります。純忠は日本最初のキリシタン大名ドン・バルトロメウとして、日本史にその名を残しました。入信後、領内の人々のキリスト教への改宗をすすめ、また神社や寺を破壊しました。のちにポルトガルとの貿易のために長崎を開港したり、有馬氏・大友氏らと少年使節をローマへ派遣するなどしました。また純忠時代に大村領は大幅に拡大し、近世大村藩領の基礎をつくりました。
<参考文献> おおむら~花と歴史と技術の町~