大東亜共栄圏3

出典: Jinkawiki

目次

大東亜共栄圏とは?

大東亜共栄圏とは太平洋戦争中に日本が作った標語のことで、1940年第二次近衛政権で欧米の植民地支配に苦しむアジア諸国を助ける建前で、陸軍を中心にドイツとの繋がりを強める日本はアメリカ、イギリス等に対抗するため石油、ゴム、ボーキサイトといった資源を求めるため南方に進出しようとした。

概要

大東亜共栄圏は日本の作ったスローガンであり、この言葉の元日本を中心としてアジアを強くしていこうというものである。基本方針として、基本国策要綱に東亜新秩序を掲げた、これは、1938年11月3日、12月22日の全2回に渡り 善隣友好 共同防共 経済提携 の3つを標語とした日本、満州、中華民国の3つで出した声明の事である。 他にも大東亜共同宣言と呼ばれる日本が欧米に対抗するため大東亜共栄圏内の結束を強め植民地支配を脱しようとする宣言やそれを採択する大東亜会議が開催された。

真実と評価

前述の通り大東亜共栄圏の真の目的は資材の確保と日本の傀儡国家を作るためである。実質、フィリピン第二共和国、ラオス王国、ビルマ国、満州国、汪兆銘政権は日本の傀儡国家もしくは、従属国となっていたのが事実である。その国々では政府首脳は日本側が選び息のかかった人物が就いて国を主導していき本当の意味での独立からは遠ざかっているのであった。共栄圏内では日本語による皇民化政策や神社の造営などを行い、さらに真の独立からは遠ざかる一方だったのだ。だがしかし悪影響だけではなかった。日本が長きに渡る旧宗主国の支配から解き放ったのは事実であり、日本は基本的に加害者ではあるが、現地人の戦力を強化したため戦後の独立には役にはたったなどの見方も存在する。これらの功罪はいまも議論の最中だ。

八紘一宇

読み仮名は はっこういちう 意味は天の下では民族などに関係なく全ての人は平等である。 これが大東亜共栄圏を語る上での最も重要な標語で、大東亜共栄圏建設のために掲げたものだ。 参考文献:https://ja.wikipedia.org/wiki大東亜共栄圏

              :https://jahistory.com/daitowa-kyoei/
              :https://ja.wikipedia.org/wiki八紘一宇

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