大正時代
出典: Jinkawiki
概要
1912年7月、明治天皇が崩御するとともに大正天皇が天皇の位置に即位した。
内閣
第三次桂内閣 1912年12月に成立。しかし、立憲国民党の犬養毅と立憲政友会の尾崎行雄両名は政権独占であると訴え、「民族打破・憲政擁護」をかかげて第一次護憲運動をおこした。この運動により第三次桂内閣は50日ほどで退陣した。これを大正政変と呼ぶ。
第一次山本内閣 1913年2月に成立。文官任用令を改めたり、軍部大臣現役武官制を排除する活動を行うことで政党の影響力拡大を考えた。しかし、山本内閣は海軍高官の汚職事件が発覚し退陣した。海軍高官の汚職事件をジーメンス事件と呼ばれている。
第二次大隈内閣 1914年4月に成立。この内閣の時に第一次世界大戦が起こる。中国進出が進み、陸軍の2個師団増設案は可決となった。
寺内正毅内閣 1916年10月に成立。この内閣は超然内閣であった。また、西原借款で中国での権益の拡大をはかった。1917年にアメリカと石井・ランシング協定を結び、中国の領土保全・門戸解放と日本の特殊権益の承認を確認した。
原敬内閣 1918年9月に平民宰相と呼ばれる原敬内閣の成立。主な行動は直接国税を3円以上に引き上げ、小選挙区制を導入した。しかし、あまり活動せずに党員による汚職事件が発覚し、そして1921年に青年により原敬は暗殺された。
高橋是清内閣 1921年11月に成立。ワシントン会議が開催され、この会議でワシントン体制が生まれた。
加藤友三郎内閣 1922年6月に成立。協調外交を展開。1923年に関東大震災が起きる。
山本権兵衛内閣 1923年9月に成立。青年、難波大助による昭和天皇狙撃事件である、虎の門事件が起こる。
清浦圭吾内閣 1924年1月に成立。憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の護憲三派が反発し、第二次護憲運動がおこる。
文化
食ではカレーライス、トンカツなど洋風料理が普及した。建築面では和洋折衷の文化住宅がつくられた。水道・ガスが都市を中心に普及したが、農村と都市の格差はかなりあった。教育もの充実度が上がり、国民のほとんどは文字が読めるようになっていた。総合雑誌が発展し、一冊一円の円本が登場した。東京・大阪・名古屋でラジオ放送が開始された。無声映画や有声映画の上映も始まった。
参考文献 Gakken 日本史の要点整理
S.N