太宰治

出典: Jinkawiki

太宰治

太宰治(本名:津島修治)

1909年6月19日:青森県津軽の大地主の家に生まれる。六男


1925年(16歳):この頃から小説やエッセイをクラスメートと作った同人雑誌に書き始める。高校では芥川龍之介や泉鏡花に猛烈に傾倒。200篇にも及ぶ習作を中高時代で書き記した。


1927年(18歳):敬愛していた芥川が自殺。これに猛烈に衝撃を受けた太宰は学業を放棄し、この頃から義太夫を習い花柳界に出入りするようになる。


1929年(20歳):この年の秋ごろから急激に左翼思想に傾斜し、12月10日に最初の自殺未遂。下宿で睡眠薬(カルモチン)による自殺を図り昏睡状態に陥った。


1930年(21歳):東京大学仏文学科に入学。上京後井伏鱒二に弟子入り。11月19日に本家から除籍され、11月24日に芸妓だった小山初代と結納。しかし太宰はこの翌25日に銀座のカフェの女給と出会い、そのまま3日間を共に過ごした後、11月28日夜、カルモチン心中を図る。


1931年(22歳):太宰の左翼活動が実家の耳に入り、そのことをきっかけに左翼活動を終了した。以後井伏の指導で文学に精進。堰を切ったように執筆活動を開始する。


1935年(26歳):授業料未納により大学から除籍。都新聞社の就職試験も落ち、3月16日夜、鎌倉八幡宮の山中にて縊死を企てたが失敗(3度目の自殺未遂)。またこの年芥川賞が創設され、第一回候補者の5人に入るも次席。


1937年(28歳):妻である初代から浮気の告白を受けショックを受けた太宰は、初代とカルモチン自殺を図ったが失敗し、離婚。


1941年(32歳):太平洋戦争開戦。翌年発表した『花火』(後に「日の出前」と改称)が時局に添わないと全文削除を命ぜられる。


1947年(38歳):神奈川に住む愛人をモデルとし、没落貴族の虚無を描いた『斜陽』を執筆。これが大反響を呼び太宰は名声と栄光に包まれた。


1948年(38歳):過労と乱酒が原因で結核が悪化。1月上旬に喀血。この頃に人間失格を執筆。6月13日深夜、太宰は机に連載中の『グッド・バイ』の草稿、妻に宛てた遺書、子どもたちへのオモチャを残し、山崎富栄と身体を帯で結んで自宅近くの玉川上水に入水する。


主な作品

『走れメロス』-1940年31歳

『花火』-1942年33歳

『お伽草紙』-1945年35歳

『人間失格』-1948年38歳


参考

kajipon.sakura.ne.jp/kt/dazai.html

www007.upp.so-net.ne.jp/dazai-kitada/sakuhinlist.html

[taro]


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