太宰治3

出典: Jinkawiki

日本の小説家、本名津島修治。青森県の大地主の家の六男として生まれた。幾度もの自殺未遂、薬物中毒に悩まされながらも戦後に多くの名作を書き上げた。最後は恋人と玉川行水で心中した。享年39歳。

略歴、エピソード

成績はとても優秀。津島家の子弟は実際の成績に関係なく、学業は全て甲をつけられていたが、太宰は実際の成績も良く、開校以来の秀才と言われていた。14歳の時に父親が亡くなり、長男が家督を継いだ。16歳の頃から小説やエッセイをクラスメートと作った同人雑誌に書き始めた。高校では芥川、泉鏡花に強く傾倒し、中高を通して書き記した習作は200篇にも及ぶ。18歳の時に敬愛する芥川が自殺したことに衝撃を受ける。20歳の12月10日深夜に最初の自殺未遂。資産家の子という自己の出身階級に悩み、下宿で睡眠薬による自殺を図り、昏睡状態に陥った。翌年、東大仏文科に入学。この頃は東大の仏文科は不人気で入試はなく、それを踏まえたうえで受験をした。かねてから『山椒魚』等で井伏鱒二を尊敬していた太宰は、上京後すぐ井伏のもとを訪れ弟子入りをする。治安維持法によって非合法化されていた左翼活動にも、具体的に係わっていった。また、太宰は芥川をとても敬愛していたため写真を撮る際は芥川のポーズを取るのがお決まりだった。

芥川賞の落選

太宰治は熱望していた芥川賞を最後まで取ることはできなかった。第1回芥川賞では、デビューしたばかりの太宰治も候補となった。太宰は当時パビナール中毒症に悩んでおり薬品代の借金もあったため賞金500円を熱望していたが、結局受賞はしなかった。第3回の芥川賞においては審査員の中で一番の理解者である佐藤春夫に何度も手紙で嘆願をしたが、候補に挙がることもなかった。

「人間失格」

太宰治の書いた名作である。自伝的でノンフィクションのような作品だが決してそうではない。ただ、太宰の人生においてどういった思想を持っていたか分かる作品。テレビアニメ化、映画化もされている。

山岸外史 人間太宰治 筑摩書房 1962 山内祥史 太宰治文学と死 洋々社 1985


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成