太平洋戦争3
出典: Jinkawiki
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概要
1941年12月8日、日本陸軍がイギリスの領地であるマレー半島に上陸し、日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃した。アメリカ、イギリスに宣戦布告をし太平洋戦争が始まった。日本は日独伊三国同盟をドイツ・イタリアと結んでいたため、日本と同様にドイツとイタリアの二カ国もアメリカに宣戦布告をした。序盤はイギリス東洋艦隊に打撃を与えまた、香港・フィリピン・マレー半島を次々と制圧し、連戦連勝をしていた。また、国民も日本が勝つと信じていた。しかし、1942年6月のミッドウェー海戦での敗北を機に状況は一気に悪化した。日本は一気に押され、日本の防衛ラインを絶対国防圏まで後退させていたが、1944年7月、サイパン島がアメリカに占拠され、絶対国防圏は崩れた。
国民の生活
1943年から学徒出陣が実施。男性の大学生・高校生および専門学校生らを徴兵した。女性は軍需工場などで働く勤労動員が実施された。次第に労働力は減り、さらには物資も減少していった。衣料は総合切符制がしかれた。しかし、総合切符制はあるが、物資が足りないという状態が続いた。米も小麦やイモの代用品に変わった。都会に住む小さな子どもは田舎への学童疎開が実施された。
内閣
1941年10月 東条英機内閣の成立 太平洋戦争に突入する。 1944年7月 小磯国昭内閣の成立 アメリカ、イギリス、ソ連三カ国でヤルタ会談が開催される。 1945年4月 鈴木貫太郎内閣の成立 ポツダム宣言を受諾する。
敗戦
1945年7月、アメリカ、イギリス、ソ連の名で日本への無条件降伏の勧告とポツダム宣言が出された。イタリア・ドイツはそれぞれすでに降伏をしていた。しかし、日本はこの時点で三カ国から出された勧告を黙殺した。 そして、アメリカは1945年の8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾を投下した。陸軍が本土決戦を叫ぶなか、昭和天皇はポツダム宣言を受け入れる決断をした。8月14日にポツダム宣言受諾を連合国に通告し、8月15日に玉音放送で戦争終結を国民に通達した。日本の無条件降伏で長い間続いた太平洋戦争は終結した。沖縄は地上での決戦であったため何の罪もない住民が殺害された。また、米兵に捕まるぐらいならと集団自決を実行する人もいた。四人に一人の住民が亡くなったと推定されている。敗戦後もシベリアでは強制労働が強いられたり、日本に帰国することができない日本人が多くいた。
参考文献 ・Gakken 日本史の要点整理 ・山川書店 一問一答 ・浜島書店 最新図説 現社
N.S