子どもの権利条約5
出典: Jinkawiki
子どもの権利条約は1989年11月20日に行われた第44回国際連合総会において満場一致で採択された子どもの人権を包括的に規定した条約のこと
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子どもの権利条約が成立するまで
国際連盟下における子ども権利
子どもの権利条約の前文にはこれまでの子どもの権利を守るための国際的努力が示されている。この中で上がられているのが国際連盟が1924年に採択した「子どもの権利に関するジュネーヴ宣言」である。この宣言の精神は第二次大戦後の国際連合に引き継がれていった。国際連盟は第一次世界大戦終結後に組織され世界平和の維持を目的としていたが第二次世界大戦を防ぐことが出来ず、目的達成はなされなかった。しかし、子どもの権利を守るうえでは重要な役割を果たした。
ポーランド政府による提案
国際連合で子どもの権利条約を定めようという提案は1978年にポーランド政府によって国際連合の人権委員会を通じて出された。ポーランド政府は先の2回の大戦などで被害を受けた子ども達のことなどを踏まえ1959年11月に宣言された「子どもの権利に関する宣言」をもとに条約の必要性や歴史的意義を説いた。しかし、各国の反応は冷たいものが多く、条約の有効性の疑問視や黙殺と言った反応が多く見られた。
ユニセフの動き
その後 1980年にユニセフの第三代事務局長に就任したジェームズ・P・グランドが1983年に「子どもの生存と発達革命」(Survival and development revolution)を起こすことを提唱した。この動きに伴ってユニセフは各地の武力紛争の戦禍に苦しむ子ども達の救済に積極的な役割を果たすべきだという考えのもと「困難な状況」にある子ども達がいることを認識し子どもの権利条約の採択に大きな役割を演じた。
子どもの権利条約の主な内容
子どもの定義(第一条)
「この条約の適用上、児童とは18歳未満のすべての者をいう」と子どもの権利条約は定めている。子どもの定義については多くの国で14歳で義務教育が終了するのに18歳では年齢が高すぎるなどの否定的な意見も多く存在した。しかし、文明が発達して近代でも子どもは安い労働力として使われ、戦争に動員されるなどの歴史的事実を踏まえてゆっくりと成長する機会を与えたいとする願いよりこの年齢設定となった。
差別の禁止(第二条)
差別の禁止は国連憲章や世界人権宣言などに明記され、日本の法令で言えば日本国憲法や教育基本法でも規定されている。しかし、「長男だから」「女の子なんだから」と言った封建社会 でまかり通っていた価値観は残っていてそう言った意味で第二条の持つ役割は大きい。
子どもの最善の利益(第三・九・十八・二〇・二一・三七・四〇条)
子どもの最善の利益を踏みにじる行為は不登校やいじめなどの問題は国際的に山積している。それ故に、子どもの最善の利益に関する記述は上記の通り、数多くある。
意見表明権(十二条)
意見表明権とは自己の意見を表明できる年齢もしくはその能力を有している児童が自分に関する事項について自分の意見を表明できる権利のことである。子どもは年齢及び成熟度に応じてその意見を尊重されるべきとされている
引用文献
中野 光 小笠 毅 1996年ハンドブック 子どもの権利条約 岩波書店
政治・経済教育研究会 2014年 政治・経済用語集 山川出版